名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『「あの人は自分のことをわかってくれない」とか、「せっかくいい提案をしているのに、うちの上司は無理解だ」と思うようなことがあれば、一度とらわれず、人を見て法を説いているかどうか、静かに考えてみることも大切だと思います。』
被害者ヅラを直ちにやめるのだ。
『自分の身の回りで起きることは、全て自分の責任だ。』
そう考えるだけで、終わりである。なぜ『初期設定』として、相手が理解してくれると思っているのかわからないが、一度、子供に何かを躾けようと試みると良い。見るべきなのは以下の黄金律だ。
大人と子供は違う?まさか、成人式を過ぎた人間が、自動的に一流の人間に昇華すると思っているわけではあるまい。子供の様な大人だっているだろう。子供の頃の趣味や好みを忘れない人がいる理由は、彼らが、子供時代の余韻を引きずっているからに他ならない。
だとしたらそれは、『融通の利かない大人を見た』のではない。『子供を見た』のだ。子供に対処するときはどうする。こちらが、大人になればいいのだ。そういうときは、その部分では自分の方が大人だったということだ。他の部分では相手が大人だということもあるし、それは、お互い様である。
また『法』とは、仏教では『ダルマ』と読み、極めて厳かで権威のある『真理』を意味する。『世界がわかる宗教社会学 入門』にはこうある。
一神教では神が真理ですが、仏教における真理とはダルマ(法)です。ダルマは、そこにあるもの、宇宙の構成原理、宇宙の普遍法則で、永遠不変です。(中略)輪廻の思想は、仏教において初めて成立したのではない。むしろ仏教が、初めて輪廻を否定したのです。否定したとは、『輪廻を乗り越える』というアイデアを打ち出したということです。仏教以前の人々は、輪廻を肯定し、世界の逃れようもないあるがままの姿だと考えていた。仏教はそこからの差異化を図ったのです。
(中略)ダルマはこの宇宙すべてを支配している根本法則で、輪廻の法則も含みます。まず、人間である自分がこの根本法則に支配されているという、ありのままの姿を実感しなければなりません。これが、覚るための『原因』になる。世界のあるがままのをありありと認識することが原因となって、その結果、自分の存在が変容する。そしてこの法則を超越するブッダというものになる。その手続きを踏み原因を作れば、誰であろうとブッダになれるわけです。
松下幸之助がもしこの『ダルマ』について語っているのだとしたら、この言葉は極めて重く、傾聴に値する重厚なものとなる。以下の記事に続くほどの話となるだろう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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