名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
ここで考えられる『違和感』とは、『蓄積してきた全体験』がはじき出す、感覚であると私は考えている。そうじゃなければ、その球が、
(まずい)
という認識が生まれない。
(よっしゃ)
という認識であってもいいはずなのだ。だがそうではなかった。それは、今までの蓄積以外の、なにものでもない。将棋界の名人、羽生善治は、『決断力』という著書の中で言っている。
『一流のプロスポーツ選手は、 自分がボールを手にしたとき、次にどこへ進めばいいか、その道が、光って見えるときがあるという。将棋も同じだ。 まるで、そこに置くべきだと言わんばかりに、駒とマスが光って見えるときがある。』
この『直感』は、『良い方向』に見えた時にそう表現し、『悪い方向』に見えた時には、『違和感』となる。私もこの『違和感』には非常に敏感で、いや、実はそれまでは、あまり重視してなかった。だが、年齢が進むにつれ、ことごとくその違和感の通りになったのだ。
例えば、違和感を感じる取引先の人間が、やはり、裏で不穏な動きをしていた。拝金的で媚び諂うような人間だったので最初から信用してはいなかったが、やはり、表裏的だったのだ。そして今では完全に縁が切れた。金の切れ目が縁の切れ目というのか、まあ、ビジネスというのはそういうものかもしれないが、『そうじゃない』と考える人もいるわけで、私は、こういう人間と接していかなければならないのなら、ビジネスなどやるつもりはない。
別にそれで成り立っているから、問題はないのだ。とにかく違和感があるときは、物事が上手くいかなかった。やはり、『それ』を見て見ぬフリをして、例えばその件であれば、心で
(まあ、利益が出ればいいや)
と思っているから、やはりその安易な心構えが『盲点』を生み出し、そしてそこからあっけなく崩れてしまうのだ。それ故、今ではこの『違和感』を強く信じるようになった。これは自分が今まで乗り越えて来た、幾多もの失敗や成功、困難を極めた、波乱の試練への信頼なのだ。今私は、たとえ表層上に『穏便に済ませようとする空気』が流れていても、自分の『違和感』が発動すれば、絶対にその空気に乗らないことにしている。それで人間関係が崩れても、関係ない。その『違和感』を無視したら、遅かれ早かれその関係は崩れることを、身をもって知っているからだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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