名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『延長自我』とは、人に自分を理解させたくて、意見を主張するのはいいが、そのエゴ(我)が押しつけがましくなり、相手が怪訝な顔をするときに、行われている自我である。ということは、『相手が怪訝な顔』をしていなければ、それは延長自我にはならない。その人の話を聞きたくて仕方がない人もいるだろう。そういう人には、どこまでも話をして構わない。延長自我にならない。誇示、誇張にならない。
しかし、そうでない場合は書いたとおりだ。今では『リア充』という言葉もあるが、人のリア充を見たり聞いたりすることは、普通、嫌がるものである。皆、自分の人生を充実させたい願望がある。その願望を、『私は叶えているが、あなたはどうなの?』と突きつけられているようで、腹が立つし、抑うつになるのだ。相手の気持ちを考えて、人に何かを伝えよう。
例えば最近でも私はこのことに関して考えさせられた。普段、社長という立場にあり、上に人がおらず、吃音症でホウレンソウもできない部下を10年見続けていることから、説教ばかりで、常に自分が正しい立場にあると思いがちで、そのせいで傲慢不遜に陥ってしまったのだ。
実は、その懸念は常々していたことだった。だから部下にも、
と言っていたのである。だからこそ切り替えが早くできたものの、一度は傲慢な態度をとってしまった。延長自我を押し出してしまったのだ。
『どんなによい物事でも、めったやたらにそれを誇張すると、だいなしになってしまうことがよくあるものですよ。』
自分のやってきたこと、負ってきたこと、辛かったことを少しでも人に正当に評価してほしくて、ついつい延長自我に走ってしまった。しかし、モリエールの言う通り、あまりそういうことは自分から言わないほうがいいのだ。必ずしも相手がそれを受け入れ、正当に評価する余裕ある立場にあるわけではない。
皆、まずは自分を認めてもらいたい。だから人を認める時間は、実はそうそうないのだ。したがって、絆が浅ければ浅いほど、あまり自分のことを誇示しないほうがいい。そして、相手に勝手に詮索してもらうのだ。それが一番効果的である。そのためには、詮索されるだけの人間になる必要がある。本当にそれだけ自分が苦労してきた努力家なら、きっとそれだけの人間になることはできるはずだ。できないのであれば、そこにあったのはやはり単なる稚拙な延長自我である。そう、戒める必要がある。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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