名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『この世は絶え間ないシーソー』ということを考えると、思い浮かぶのはいくつかのキーワードである。
これらすべてのことが、シーソーのように一方に傾いたり、また一方に傾いたりを繰り返し続けている。恋愛であれば、あの人を好きになったり、この人を好きになったり、という人の気持ちの移ろいもそうだし、また、『恋の駆け引き』ということで考えてもそうだ。どっちかが押せばどっちかが引き、あるいは、引いたと思ったら今度は相手の支配欲が満たされ、押すのをやめる。
そういう風に、人間の心が常に固定されておらず、流動変化している。そういう印象を強く得るのである。それで考えれば、仕事や人間関係も同じことだ。競合が頭一つ抜けたら違う競合は市場シェアでの順位を下げられ、また違う競合がそれに対抗して頭一つ抜けたら、同じ現象が起きる。
仕事上の駆け引きでもそうだし、人間関係で考え得るあらゆる問題もそうだ。繋がったと思ったら切れて、友になったと思ったら裏切り、勢いのある方へ人が群がったと思ったら、その勢いがなくなれば次の勢いのある場所へと人が群がる。
『『中国古典』の教え』の『史記』にはこうある。
『地位が上がったり下がったりすることによって、付き合いの深さが良くわかる』
こちらが調子のいい時は放っておいても人は集まるが、落ち目になると、さっと去っていく。遥か昔から今において、変わることのない愚かな習性である。(中略)『だが、初めからそれが人情だと心得ていれば、人が寄ってきたからといって喜ぶこともないし、去っていったからといって嘆くこともないのである。』
人間というものは、勢いがあるところへ移動し、そこが勢いを失ったら次の場所へと移動する。まるで一つのところに固定されない、落ち着きのない生き物である。気運もそうだ。見るべきなのは以下の黄金律である。
人間には得意時代と失意時代というものがある。人間は、勢いが上昇しているとき、決まって驕り高ぶり、傲慢不遜に陥る。そうして足下が浮ついたところで見事にそこをすくわれ、転落してしまうのだ。
得意になり、失意になり、そうしてまるでシーソーのように何度も何度もそういう一喜一憂を繰り返すものである。また、経済学の巨人と言われたガルブレイスは1636年のチューリップ狂の経験以来、 何も変わらないある法則を見極め、こう言っていた。著書『バブルの物語』にはこうある
『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』
景気が上向き、バブルが弾ける。そんなことは遥か昔から行われてきた、シーソーなのである。その中で、どうするか。何を見極めるかだ。だが、最も注目したいのは『善悪』についてだ。悪に傾き、善に傾く。秩序が優位になったと思ったら、混沌の波が押し寄せる。
シェイクスピアは言った。
それは我々人間に、聖性と魔性の両面が備わっているからだ。じゃなければ父親が子供の為を想って叱りつけないし、『魔が刺した(差した)』という言葉は、存在しないのである。私が今たどり着いている記事に、こういうものがある。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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