名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
この言葉を完璧に理解することは、この言葉だけを見ても出来ないが、
『おそらく私は最後の輪を完成させることは出来まい。だが、私はそれを試みたいと思っている。』
という部分だけはわかる。この心構えは、私がこのサイトを創り上げようと思った起因と同じだ。私の様な完璧主義者は、例えば、部屋の中が綺麗に片付いていなければ気が済まない。だがその反面、赤ん坊が出来て彼らが部屋を散らかすのは仕方なくて、そうなると、(どうせ散らかるから)といって、今度は片づけをしなくなる傾向があるのだ。
それと同じで、人生における完璧主義者とは、人生に対して一度必ず憂う時期がある。
(どうせ積み上げても死ぬしな)
そういう発想が、頭をよぎってやる気を失くさせるのである。私もそういう葛藤・経験を何度もした。しかし、だからといって人生は続くのだった。人生を放棄しても、掃除を放棄しても、毎日はやってくる。
ドイツの小説家、ジャン・パウルは言う。
完璧主義者の私は、『どうせ死ぬ人生で努力しても無意味だ』と考え、ジャン・パウル曰く、『人生をパラパラとめくっていた』。しかし、父が死に、友と別れ、遊びという遊びを嫌というほど経験し、刻一刻と死期が近づいてくる事実を日に日に目の当たりにしていくうちに、ジャン・パウルの言葉の意味や、スウェーデンのこの諺の意味を、思い知るようになった。
『コツコツとやる』という言葉をもっとも嫌っていた私は、その心構え通り、チマチマとしたことを常々、揶揄して生きてきた。それが何の意味をもたらすのか?私には到底、理解することは出来なかった。しかし、前述したような偉人たちの言葉の意味が煮詰まってきたとき、私はイチローの、この言葉が意味することの重大さを、思い知ることになった。
『確かな一歩』。これは確かに、『たかが一歩』だ。かつての私の考えからすれば、(でもどうせ死ぬだろ)ということになる。しかし、『されど一歩』だ。人間がこの長い歴史の中で積み重ねてきた『確かな一歩』は、血と涙と、尊い命によって受け継がれ、今の世と、今の自分の命が、在り得るのだ。
さしずめそれは、『リレー』である。自分の命は、確かに虚しい。自分の番が終われば、もう出番は二度とない。しかし、もし自分が手を抜いてそれを走ると、後に続く者や、それを俯瞰で見る者、ライバル、周りの者はどう思うだろうか。あるいはその反対に、全力で走り抜けると、どうなるだろうか。まるで夜空に打ち上げられる大花火の様に、我々の命は一瞬で、儚い。だが、それを『尊い命だった』と言えるような人生にするのが、人間の意地である。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
当サイトにある500人の偉人の8000の名言は、ぎゅっと集約して『38』にまとめられます。人間がいる以上未来永劫廃れることのないこの情報を、決してお見逃しなく。
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