名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
以前テレビドラマで聞いたこの言葉。
この言葉の大元は、恐らくリンカーンのこの言葉だろう。妙に説得力がある言葉だと思って頭に焼き付いていたが、やはり稀代の偉人が捻出した、生きるエネルギーだったようだ。あるいは、ネルソン・マンデラもこう言っている。
元はどうでもいい。『誰が言った』かは、関係ないのだ。重要なのは、この言葉が放つエネルギー、そして輝きである。私の前にも、何度試練の壁が立ちふさがったことだろうか。
両親には信仰を強要され、身内には思慮浅く不当に評価され、拝金的なビジネスパートナーには足を引っ張られ、あるいは横領され、上司面した越権者には出世の邪魔をされ、
友人の顔をした人間には的を射ない暴言を吐かれ、吃音症の部下には何万回も同じミスをされ、ひとまず『ここに書けること』、『私のことを棚に上げて』話せば、このようにいくらでも立ちふさがった試練の壁の話をここに書ける。しかし、その度に言い聞かせてきたのはこんな言葉だった。
(タダでは転ばない。)
そう念じてきて、その『念』を『細胞』に染み渡らせ、煮えたぎる『血』に変え、『知』を生んだ。そしてその『知』が、どんな窮地に陥ったとしても、自分の人生を前へ前へと押し進めてくれたのだ。
『私のことを棚に上げて』と言ったが、どうもこの手の話をするとき、人は『自分だけが試練の壁にぶつかっている』と考えがちだが、実際は、逆に『自分こそが試練の壁となっている』場合もある。例えば、上に挙げたような人々からすれば、私の存在とは『目障り』であり、『自分の人生を脅かす脅威』である。
両親は私さえ信仰を持ってくれたなら、さぞかし穏やかに生きていくことができるだろう。そうすることで自分の信仰に一切の迷いも持たずに済むし、自分達の居心地が脅かされないからだ。
身内は私がもっと『わかりやすい人』だったら、さぞかし接しやすかっただろう。そうすれば私に『世間一般にまかり通っている常識』通りに接すれば、、そつなく人間関係を作れるからだ。
ビジネスパートナーは私がもっと現実主義者であれば、さぞかし付き合いやすかっただろう。お互いの利益だけに重きを置いて接すれば、表面的な付き合いだけで済んで、心底にある醜い部分を露呈させなくて済むからだ。
友人は私がもっと『みんなと足並みをそろえる』人間であれば、さぞかし思い通りにいっただろう。私が『出る杭』になったからこそ、その杭を打ち付け、『元の位置』に戻そうと躍起になったのだ。
吃音症の部下は、私がもっと『要求レベル』を下げれば、さぞかし楽だっただろう。慣れあいをし、誤魔化しをし、ただ呼吸しているだけでいい、という人生を正当化できるし、やるべきことを先延ばしにできるからだ。
とにかく、全ての人に突き付けられることになる、試練の壁。そして人間には、その壁の前で立ち尽くし、絶望に浸ることも、乗り越えたり、迂回して違う道を行く選択肢も与えられている。
『あなたが転んだことに興味はない。あなたがそこからどう起き上がるかに興味があるのだ。』
我々が生きているのは、たった一度の人生なのだ。このことについて、一度立ち止まってじっくりと考えたい。
見るべきなのは以下の記事だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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