名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
孔子の言葉として書いた、
の記事に、
たとえ100対0で相手が悪いような場合も、『100対0と考えてしまう自分にこそ落ち度はある』と考え、その理不尽を逆に自分の糧にし、
と書いてよかった。どう考えても相手に非があるという場面に直面したとき、その真偽と是非について、見識がある人間ほど、人が見えない人間のまがまがしさが見えて、大変だ。
だがそんな時、『固執』してはならない。『執着』してはならないのだ。偽り、誤魔化し、美化、正当化する。それが人間なのだ。それを改革する理想はあっても、そこで沸き起こった怒りに心を支配されることがあってはならない。
『こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手に譲るべきだ。こちらに十分の理があると思われる場合でも、小さいことなら、譲った方がいい。』
例えば、赤ん坊に目の付近をつつかれた。少しずれていたら目だ。目をつつかれたら最悪失明することもある。こちらには何の落ち度もない。ただ顔を近づけただけだ。その場合、もちろん器の小さい短気な人ならその行為に感情を揺さぶられるだろう。何しろ、こちらな何もしてない。それに、いつもならそういう理不尽なことがあれば必ず激高する。
だが、赤ん坊を許すべきである。なぜなら彼らは何も悪気はない。大人と違って、責任がない。その都度教えてあげるのだ。親や大人が。それが教育であり、リンカーンの言う博愛と包容力である。それは、傲慢不遜な人間には持てない誇るべき能力だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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