名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
どちらにせよ結局『無知』ということになるのだが、これを理解するにふさわしい話がある。ある日ソクラテスは、自分が知者だと言い張る人間に、『善とは何か』と問いただした。 すると、男は笑いながら言った。
それに対し、ソクラテスが言った言葉がこれだ。
すると男は居直って、ソクラテスの髭をむしり取った。『真実は言えない』わ、『髭はむしる』わ、『開き直る』わで、『迷走』の王道をひた走るその無知な男は、『無知』というよりは、『ある何かを信じていた』という言い回しがピタリくる。
結局それは『無知』というひとくくりにはなるのだが、本当に何も知らない人は、その男の様な態度すら取らないわけで、あるいは、『教えてください』という謙虚な態度を取るかもしれない。そこまで考えると、やはりルソーの言う通り、自分が知っていると『盲信』している人間が、迷走するのである。
そしてここには付け加えておかなければならない話がある。私の母の話だ。私の母はクリスチャンである。そして15年前に亡くなった私の父もクリスチャンである。私の祖母と妹もクリスチャンである。しかし、私と兄はクリスチャンではない。
私は少年時代、彼女らが『間違っている』ということを知っていた。しかし、彼女らは自分たちが正しいと思って私に接してきた。私は常に葛藤していた。この両親の間違いを正そうかと。しかし、私には両親を直接殺すことはできなかった。
だから相手が勝手に死んでくれることを願っていた。そうすれば私がこの問題から解放されるからだ。毎日毎日、間違った考え方の人間の側で生きていかなければならない。それは苦痛以外の何物でもなかった。
時は流れた。波乱万丈の日々が流れた。父は死に、私は30歳を超えていた。私はその時、自分のことを苦しめた原因でもある宗教を勉強していた。ここから目をそらして生きていくことは、悔いの残る人生に繋がっていると判断したからだ。
『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
世の偉人たちと向き合って、彼らの言葉に真剣に耳を傾けた。
そして見えてきた真実があった。それは間違いなく、クリスチャンである母親らを擁護するものではなく、かつて違和感を覚えた少年時代の私のことを擁護するものだった。それはこういう内容だ。
この話はこのサイトで最も難しく、難易度が高いが、しかし、最も重要な話である。母にそれを話すと、母はその圧倒的な信憑性に、ぐうの音も出ない様子だった。正直、『何を言っているのかわからない』という感想と、『もしかしたらその考え方は正しいかもしれない』という感想の両方を抱いただろう。
しかし母親はクリスチャンをやめることができない。それは、亡くなった夫がクリスチャンだったからだ。自分の母が、娘が、教会関係者に大勢の友人がいるからだ。そして、30年以上の間、クリスチャンであることを生きがいとして生きてきたからだ。今更後に引けない。たとえ自分の生き方が間違っていると心底のどこかで疑っていたとしても、彼女はきっとこのまま一生、その気持ちを隠蔽しながら生きていくことだろう。
もし彼女がクリスチャンでなければ私の突き止めた真実は、彼女の人生を大いに救っただろう。だが、彼女はクリスチャンであり、その道で生きていくことを覚悟した人間だ。目の前にある矛盾を見てみぬふりをして、彼女は今日も明日も、必死にこの人生を生きていくのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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