名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
例えば、たった今トップニュースとなっているのはこうだ。
元交際相手の女子高生に復縁を迫るメールを送ったなどとして、西京署は29日、ストーカー規制法違反の疑いで(省略)…を逮捕した。同署によると「気を引いてよりを戻したいと思い、不安にさせてでも話がしたかった」と容疑を認めている。
自分が憑りつかれたように豹変してしまう。それは誰にでも一度はある経験のはずである。特に、精神未熟なときはこんなことのオンパレードだ。
ゲーテは言った。
しかもその『精神未熟時代』はゲーテに言わせれば、若き年齢の時代ということではないのだ。だとしたら、(自分もそんな時期があった)と思った人は、自分を疑った方が良い。誰しもが、いつどこで憑りつかれるかわからない。それが『魔が刺す(差す)』ということなのである。
聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。
『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。
アインシュタインが言うように、
人間はこの『魔性』を根絶させることは出来ない。だが、『劣位』にすることは出来る。その逆で、それが『優位』になったとき、人は三浦綾子の言う通りの実態を晒すことになるだろう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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