名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『善人たちも、また善人と見える人も、実は私と同じように悪の衝動を持っているのだと考えた。そういう弱いものとして、他人を許し、また自分を許し、悪をできるだけ抑制し、弱い人間同士で、なるべく傷つけ合わぬように暮らさなければならない。』
この言葉はかなり興味深い言葉だ。私にとって、極めて重要な的を射ている。私がこのサイトで『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
世の1,000人の偉人たちと向き合って、
それでたどり着いたある結論と、瓜二つなのである。
シェイクスピアは言う。
これが伊藤整の言い当てることと同じ的を射ている。聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。『魔性の女』のときの『ましょう』とは違って、『ませい』とするが、よく『魔が刺す』と言うのは、この『魔性』の仕業であると言っていいだろう。
私のクリスチャンの親はこのことについて論理的に考えずに『サタン』などと言うが、今はこの知識がある故、理解することが出来るが、10代の私が、当時親の口から『サタンが』などと言うのを見てどう思ったか、そのことを想像し、同情してくれる人は多いだろう。とにかく我々には『聖性と魔性』の二つがあるのだ。腸内に『善玉菌と悪玉菌』があって、悪玉菌が優位になると下痢、便秘等の異常が出るように、我々の心もまた、同じようにそのバランスを崩さないよう、注意する必要がある。下記の記事に書いたように、『世界平和』は実現することは不可能である。先ほど挙げたような稀代の偉人たちが束になってかかっても、それが実現することはないだろう。
なぜなら、70億人人がいたばあい、その一人が一人残らず未熟でもなく、不正もせず、義を重んじ、人の道を踏み外すことがなく、またあるいは、病気に罹り、それについて一切の負の意識を覚えず、誰もがコンプレックスを抱えずに人に嫉妬せず、傲慢、強欲、怠惰、嫉妬、憤怒、暴食、色欲、執着に心を支配されず、生きていなければ、そこにあるのは『世界平和』ではない。また、もし万が一、おや、億が一それが達成されたとしても、動物や昆虫たちはどうする。見えない生き物や微生物、植物たちはどうする。それら人間以外の生命の一生はないがしろにされ、人間だけが平和であればそれでいいのか。
食べる肉はどうだ。結局、動物愛護団代はどうしてほしいのか。肉を食べてはいけないんか。だとしたら肉食動物も淘汰されるべきなのか。イヌイットの人々が肉しか食べずに健康なのはなぜか。このようなことを考えたとき、この世界は永久に『世界平和』にはならない。そういう結論にたどり着くことになる。だが、人間ができることがある。それは、『魔性を劣位にし、聖性を優位にする』ということである。『闇を劣位にし、光を優位にする』ということである。それならできるのだ。人間ができるのは、それだけ。そして、それで十分なのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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