この言葉はとても興味深い。『再認識』させられるのだ。『人生』を。
私は17歳の時に父を亡くした。それまでは(親なんて死ねばいい)と思っていた。私の意志を尊重せず、クリスチャンであることを強要し、それに従わなければ『反抗期』というレッテルを貼られる。私は親が間違っていると思ったし、そんな親に従う必要はないと決意していたのだ。
しかし、本当に死ぬとなった時、確かに刹那には『そりゃ死ぬだろ』と、それを私に伝えた母に残酷に言い捨てたのはあるが、(何を言ってもこの子にはもう無理か)という母の後ろ姿に、妙な違和感を覚え、(もしかしたら取り返しのつかないことになる、一歩手前まで来てしまった)という発想をしたことから、死んでいく父への内省が始まっていた。その内省は、こういうものだった。
そうか。死ぬのか。ようやくこれで楽になれるな。
そうか。死ぬのか。だとしたら、俺の勝ちじゃねえか。相手が衰弱して死んで、俺が生き残る。俺はどんな場所だって環境だって生き延びて見せる。
何しろ、意志を殺されたんだ。いわれのない誤解を散々受けたんだ。それを乗り越えてきたんだ。俺が乗り越えられない環境など存在しない。それは、父親が死んだところで、何一つ変わる話ではない。
…そうか、死ぬのか。
だとしたら、せめて最後くらいは俺に言いたいことを言わせてやってもいいか。俺の勝ちなんだしな。好きにやればいいんだ。最後くらい。それぐらいはいいだろう。
…そうか、死ぬのか。
俺たちは、一心同体じゃなかったのか。俺は生きて、父親は死ぬ。別々の存在だったんだ。一緒じゃなかったんだ。だとしたら、俺は俺、父親は父親で、それぞれがやりたいように生きていけばよかったんだよな。だとしたら、父親の意見を全否定さえしなければ、もう少し上手くいったんじゃないだろうか。
もっとも、親がそれをやるべきだった。親がその事実に気づき、俺にクリスチャンであることを強要してはならなかった。でも、親も親で、愛情のつもりでやってたんだよなあ。だとしたら俺の方が大人になって、『それぞれの意見があっていい』と、言ってあげればそれで済んだよなあ。そういう選択肢だって、あったはずなんだよなあ。
…死ぬんだ。
死なないと思っていた。やっぱり人って死ぬんだなあ。
その時私の目には、しばらく封印していたはずの涙が一つこぼれていた。
私は『泣き虫』と揶揄されることが嫌で仕方がなく、人生を強要されることを『意志を殺す殺人』かのごとく捉えていたこともあり、気づけば、自分にとって脅威を及ぼす一切の存在に対し、冷酷無比な対応をする人間になっていた。それは親に対しても当然例外ではなかった。しかし、その親が本当に死ぬとなった時、私の心底に封印した人としての感情が、揺り動かされたのだ。
私は親を怨んだ。
私は人生を怨んだ。
しかし、私は単なる先進国で生きる無知な小僧でしかなかった。『それ』すらも知らなかった。無知で無力で、自分本位だった。親の顔も知らないで生きている人だっているんだ。食事が摂れずに餓死する子供だっているんだ。それなのに、私は自分の人生に『不遇』を覚えていた。たった一度のこの人生に『不満』を覚えていた。
そして私はドイツの小説家、ジャン・パウルの言う様に、
人生をパラパラと、めくってしまっていたのだ。
これって、人生だったんだ。これって、たった一度の人生だったんだ。父が死んだら生き返らないように、やり直しは聞かないんだ。取り返しはつかないんだ。だとしたら、何をうじうじしている暇があるというのだ。父の死を通して学んだことを絶対に無駄にしない為には、悔いの無い人生を生きなければならない。
私がこう考えられるようになったのは、間違いなく父の死のおかげだ。
この、やってくる毎日がたった一度の人生だという事を知ることが出来たのは、父が『非故意に』遺した、最後の遺産である。美しい家族愛の話に美化したいところはやまやまだが、『非故意』にというところが、この話の奥が一階層も二階層も深いところである。
それはここには書かないが、しかしいずれにせよ、私は父の死によって人生を内省することができ、『悔いの無い人生』を生きる覚悟を持てたのだ。
人生を再認識させられる。そういうことが、人間にはとても必要である。言うなれば、そこから始まるのだ。本当の人生が。
それを『更生』と言う。更生という字は『更に生きる』と書く。我々は、このたった一度の人生を再認識したとき、人生を更に生きるのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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