この言葉は、私の『お金』に関する考え方を一言で表す言葉だ。この言葉に出会ったのは今から10年前、20歳になるかならないかという時だが、拝金的になるその前も、拝金的になった数年間も、そして今も、この言葉は変わることなく、私の『お金に対する考え方』である。
本来のソースは、
『お金は必要だが、重要ではない。』
だったのだが、私がそれをインパクトがあるように強調した。実際に書くときには、更に強調してこう書く。
『お金は”必要”だ。だが、”重要”ではない。』
どちらか一方でもダメなのだ。『お金は必要だ。』で終わってもダメだし、『お金は重要ではない。』と言うだけでもダメだ。
『お金は必要だ』だけだと、先ほど言ったように拝金的な匂いがする。お金、お金。お金に人生を支配されて、『何は無くともまずお金』という様な、お金崇拝型の、つまり拝金的な人間になってしまう。
その金を手に入れるためには、何をしてもかまわない。
しかし、世の中はお金だけがすべてではない。従って、それだけだと物足りない。かといって、『お金は重要ではない』だけでもダメだ。お金は、重要である。『必要だが、重要ではない』だったらいいが、『重要ではない』という言い回しだけだと、『必要だが』が入っていないわけで、お金を軽んじることになる。
お金がなくては、世の中を生きていくことは出来ない。人間とお金は、もう切っても切れない間柄なのである。従って、それだけだと物足りない。
『お金は”必要”だ。だが、”重要”ではない。』
でなくてはならない。お金は生きていくのに必要なのだ。衣食住すべてにお金がかかる。
アメリカでは、自己破産の原因の第一位が『医療系』の問題である。つまり保険が効かないのだ。日本とは違うのである。そう考えると、衣食住の最低要因はもちろん、医療、教育、インフラ、興行や生産や、それら最低限のことを考えただけでも、その機能を循環させる為にかかる人件費や開発費等の費用は間違いなくかかるのだ。
しかし、だからといってその金を稼ぐ為に、人身売買をしたり、武器麻薬を売買したり、人殺しをしていいわけがない。そう考えると、お金よりも重要なものがあるということが、見えて来るはずである。
つまり『拝金者』というのは、『お金よりも重要なものはない』と思っている人間なのである。だからこの言葉は響かない。しかし、冒頭で私は『拝金的な数年間も響いていた』と書いた。どういうことだろうか。
それはただの『勘違い』だ。私が勘違いしていただけだった。『必要』と『重要』の意味を理解していなかった。したつもりでいたのだ。
例えばこう考えていた。
『なんにせよ、どんな手を使ってでも最初はグレーでもブラックでも金を稼いで、それでホワイトな表の仕事に切り替えて、グレーブラック事業を切り離す。まるで、ロケットを打ち上げるために使うカタパルトを途中で切り離すように。だが、打ち上げるためにはカタパルトが必要なんだ。』
しかし、その考え方の道の上で出会った人間は、当然のことながら『拝金的』だった。人として軽薄。つまり私は、知らぬ間に『金を稼ぐために手段を選ばない道』を選び、『金を稼ぐことに重きを置きすぎてしまった』のである。この言葉の意味を勘違いしていたのだ。私は、『お金は必要だし、重要だ。』と考えてしまっていたのである。
それからしばらくして私は、やはり自分の心の声には逆らうことが出来ないことを確信し、お金を稼ぐことよりも、重きを置くものがなければならないということを悟った。
それは『意志』である。『信念』である。『理念』であり、『矜持』である。
アインシュタイン は言った。
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