名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『やって見せ 説いて聞かせてやらせてみ 讃めてやらねば 人は動かぬ』
実際の言い回しはこういうものだった。再建の神、大山梅雄は言った。
ここに書いたが、私は山本五十六のこの言葉を10代の頃から聞いていて、だが、逆らった。
(言っただけ、あるいは言わなくてもやってもらわなければ困る。真の絆があればそれが出来るはずだ。)
と思っていたのだ。しかし、ことごとく山本五十六の言う通りになったのである。
言うことを聞かないのだ。部下が。いや、表層上では、十分言う事を聞きそうな条件が揃っていた。例えば、こびへつらっていたし、あるいは、そうやって口に出していた。
つまり私は『過信』していたのだ。自分を。部下を。表層上に出る実態を。
しかし、『人物』は信用しても、『人間』は信用してはいけなかった。その『人間』の中にはもちろん、私も含まれているのである。
部下においてもそうだ。『以心伝心的な少数精鋭』を望む私は、単なるロマンチストだった。まずは、徹底したリアリストでなければならなかった。つまり山本五十六の言う通りだ。背中を見せるのだ。そしてそれを頭と、心に焼き付けさせる。そうじゃなければ、彼らも頭の中ではわかっていても、心のどこかでは、舌打ちをしているものなのである。
私の様に、幼いころから一緒だったような人間関係でもダメだった。だとしたら、恐らく本当に全ての人間関係は、山本五十六の言う通りだ。
まずは自分がやってみせ、それで説得者要因を築き上げ、そのうえで、初めて相手の主体性を煽る指導、助言をする。そうでなければ、相手は壁にぶつかって、腐り、根を上げ、心の底で、それをやらせた上司に舌打ちをするだろう。
だが、上司がまず手本を見せ、
『俺が出来るんだから、他の奴ら全員も出来るに決まってるだろう。』
と言って、問題を解決していく方向に光を灯すなら、彼らは勇気を持ってその方向に向かい、壁にぶつかっても梯子をかけてそこを登り、次々と直面する試練、問題を乗り越えていくことだろう。
私は今、『吃音症』という黙り込んでしまう病気を抱えた部下と、かれこれ6年以上、上司と部下の関係に身を置いているのだが、山本五十六や、教育の神、森信三の言う通り、
人を育てるということは、とても大変なことだと身に沁みて実感している。
そして同時に、『そんなことは当たり前だ』という境地に達するべきなのだと、毅然とした彼ら先人たちの言葉を聞いて、身が引き締まり、かつ、『負けてられるか』という反骨精神が、燃えたぎる今日なのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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