死に方は確かに『様々』だ。つまりそれは、生き方が様々だということ。ということは、『無様』な生き方をする事もできる。だが、『無様』に生き長らえる人生を私は生きたくない。
そう考えると、生き方の多様性は人間が創り出しているわけだが、その多様性が正しいかどうかは、定かではなさそうだ。人間が勝手に、
多様性があると思い込んでいるだけなのかもしれない。
例えば、『国境』というのは本当に必要だろうか。『言語の違い』というのは足かせになっていないだろうか。『宗教』はどうだ。争いの種になっていないか。また、『考え方』はどうだ。それの違いこそは、我々人間の愚かさの根幹のように見える。
『みんなちがって、みんないい』と言うが、それは、多様性があるこの世の中を真正面から受け止め、肯定した言葉だ。一見するとそれはとても平等的な考え方だが、では、その考え方が原因で人同士に軋轢が生じた場合、どうすればいいだろうか。
それはもちろん、その言葉の解釈が甘い証拠だ。『みんなちがっていい』ということを本当に理解しているなら、軋轢など起きないからだ。
だが、人々はこれをいつまで経っても理解しない。遥か昔からそうであり、傾向的に、これは未来永劫続くものだと予測できることだ。人間には心があり、その心が人の人格を作り、個性となり、区別をし、そして差別を生む。この世の争いの根幹にあるのは『人間の心』であり、『考え方』なのだ。
『われわれの生まれ方は一つ。だが死に方はさまざま。』
私がこの格言を見て考えるのは、『我々は、死に方が様々で、いいのだろうか。』ということだ。それは、『様々な死因がある』というの話をしているのではなく、『様々な生き方』についてだ。
その様々な多様性ある生き方を容認することは、一見すると平等性があるが、しかしそれを容認した結果、人々は愚かな争いを繰り返すことになった。
『思想の統一』をすればいいのか。それも逸脱している印象がある。では一体どうすればいいのか。私が導き出した結論は、以下の記事である。
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