名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
人間は自分を省みるとき、反省→猛省→内省→内観の順番で、その深さが掘り下がり、強度が上がることになる。そのうち『内観』とは、『お世話になったこと、迷惑をかけたこと、して返したこと』の3点について、0歳の頃からの記憶を思い出し、親と自分の関係について考えに考え抜く作業のことをいう。
私はこの内観を7日間かけて行った。まだ10代後半だ。最初の3日間は、性欲食欲睡眠欲を筆頭とした、邪念、私利私欲、煩悩のことで頭がいっぱいである。だが、精神というものはある程度の時間が経つと、まるでカメラのフォーカスでピントが合うかのようなイメージで、急にピタリと統一されるものである。この4日目以降の精神統一によって私は、自分の目から涙が流れるのを止められなかった。なぜなら私は、『お世話になったこと、迷惑をかけたこと』は腐るほど事例を挙げられるが、『して返したこと』など、肩を叩いたとか掃除を手伝ったぐらいのことしか思い浮かばなかったからである。
気づいたら食事が出来ていて、洗濯ものがたたまれていて、頼んだら洋服を買ってもらうことが出来て、あるいは温かな風呂や布団、ひいては教育、生活費に至るまですべて世話になって、それで私は、親について、文句を言い続けてきたのである。
確かに親には、宗教を強要された。
それについて怨んで、死を願ったことも一度や二度ではない。だが、自分の小ささや受けた愛の事を考えると、『愛の形』の話は置いておいて、そこにはとても頭が上がらない大きなものがあったのだと、気づいたのである。
『人間というものは、自分が恩恵を受けたたくさんのことを、それを思い出そうとしないと思い出さないものである。』
人間には、自分を、人生を省みる時間が必要である。その時間を確保することができれば、人生における大体の問題は解決すると言っていいだろう。何しろあの釈迦は、
29歳で王子の身分を捨て、修行に出て、35歳までの6年間でありとあらゆる苦行をしたが、それでもこの世にある様々な負の問題の解決方法を見つけることができなかったが、その後に行った『瞑想(ヴィパッサナー瞑想。あるがままを観る瞑想)』により、『内』を観ることで、この世の真理を悟り、『ブッダ(悟りを開いた者)』になったのだ。例えば下記の黄金律がある。
これは、ブッダ、孔子、老子と言った、仏教、儒教、道教という『三教』の始祖たちが口をそろえて説く、この世の真理である。人はとかく、足りないものだけに目がいくものである。しかし、己の心に目を向けて、今、こうして生きているということがどれほど恵まれているかと言うことを知り、足るを知ることができれば、人の心は平安に包まれるのだ。見るべきなのは以下の黄金律だ。
自分が今、この写真の子供よりも不遇な環境にいるというならば、自分の心に目を向ける必要がある。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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