名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
高邁な作家、アニー・ディラードは言う。
あるいは、孔子は言う。
岩淵克郎この言葉にも、随分大きな影響を与えられたものだ。
例えば古代ローマの詩人、ホラティウスが、
と言う様に、人生はいつ、終止符を打つことになるか予想がつかない。しかし、だからといって岩淵克郎の言う言葉の逆を生き、『一日を刹那的に生きる』ということをすれば、人は人生に悔いを残しかねない。なぜなら、孔子の言う様に、『人生とは一瞬ではなく、一生』だからである。その後も人生は、往々にして続くからである。建設的なら次につながるからいいが、刹那的ならその場ですぐに消えてなくなる。その生き方はまるで、『人生が一瞬である』と見間違い、後でツケを払う思慮浅い生き方に似ている。アニー・ディラードの言う様に、『そんな思慮浅い一日』など、誰にでも過ごすことが出来る。だとしたらそこに、『意志』はない。
ルソーが言う様に、
からである。イチローは言う。
登山と同じ。つまり登山のことで言うならば、
『三笠山に登る一歩、富士山に登る一歩、同じ一歩でも覚悟が違う。どこまで行くつもりか、どこまで上るつもりか、目標が、その日その日を支配する。』
ということなのである。登山の一歩は確かに大変だ。脚も棒のようになり、天候も読めないし、酸素も薄くて頭痛がすることもある。だが、そこは気楽に行こうではないか。それが登山(人生)だと言うならば、それを楽しむことが出来れば、それは『成功者』だ。私は『成功者』という言葉が嫌いだが、ここで使うのはいいだろう。
確かに、この山を登ったところで、得られるものなど『圧倒的な絶景』だけだ。だが別にいいじゃないか。そこは気楽に行こう。だとしたら最高に大変な思いをして、最高の絶景を見て死んでやる。そんな人間の健気な心構えは、何だかとても感動する。我々がこの一生で出来ることなど限られている。だが、だからといって、それがくよくよと下を向いて生きていく理由にはならない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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