名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『自分本位』という言葉がある。自己中心的という言葉と似ていて、『自分さえよければいい』という考え方である。大人に成る過程で、それではやっていけないことを知る。自分一人で生きているわけじゃないからだ。だが、それよりももっと深くに『人間本位』という言葉がある。この言葉は『過激』なのだろうか。それとも『真理』なのだろうか。つまり、『人間の尊厳を脅かす概念』なのだろうか。それとも、『絶対不変の宇宙の法則』なのだろうか。
諸説あるが、人間は昔、この地球が丸いことは知らなかった。大きなゾウや、木が支えている平らな土地だと思っていた。それから幾年もの時が経ち、地球は丸いことを知った。そして、宇宙があることを知った。そして例えば『雷』が『神の怒り』ではなかったように、『真実の把握と同時にあらゆる神の幻想も消えた』のである。まだ消えていない神の存在もあるが、もしかしたらこの延長線上には、消えるかもしれない。だが少なくとも、現在の人間の半分以上の存在が、何らかの神を信仰している。
地球以外にも世界(惑星・宇宙)があった。太陽は、宇宙の真ん中ではなかった。ことごとく人間の推測は外れ、だが確実に人は真実の把握へと一歩一歩近づいていった。
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そう。我々は、『長い年月をかけて、ようやく真実の把握へと近づくことができた』のだ。そしてそれは現在進行形である。自分たちの人生という時間では到底足りない。時間をかけて、子孫へと命を繋いでいきながら、真実の把握への探究を繰り返し続ける。真実は変わっていない。我々が真実に追いつきそうになっているだけなのだ。
それなのに人間は、まるでこの宇宙の覇者であり、あらゆる生命の頂点に立っているような思い上がりを持つことがある。生物多様性を軽んじ、オゾン層を破壊するような、例えば森林伐採や、環境汚染のような軽薄な行動を取る。アリを踏み潰しておいて、罪悪感を感じない。動物や虫を殺処分して、道路を埋め立てるときに多くの命を殺し、人間のコンフォートゾーン(愉快だと感じる空間)の確保を優先する。
我々はまるで、『自分たちの人生をスムーズにするためには、それ以外の存在は犠牲になってもらうこともある』と言わんばかりに、『人間本位』な考え方を持っているのだ。その考え方に警鐘を鳴らした映画はよく見るだろう。『お前たち人間がいなければ、地球は住みよい星になる』として、異星人(エイリアン)だかなんだかが攻め込んできて人間を襲う。
宮崎駿も、
と言ったが、あながち、それも間違った意見ではないのかもしれない。そういう俯瞰で考えることが出来なければ、彼は『ナウシカ』や『ラピュタ』、『もののけ姫』等、人間と自然との共生を世に訴える、ただの娯楽アニメではない、稀代の名作を生み出すことは出来なかっただろう。事実、『ナウシカ』を発表したとき、
という記者に質問に対し、宮崎はこう答えている。
つまり、『我々人間は、当たり前だと思っている常識や固定観念があるけど、本当にそれは正しいのか、一度この作品を通して、ガラッと発想を変えてみて欲しい。』ということなのだ。そして物語は、テクノロジーの発展の延長線上にある地球の破滅を描き、だがその地下深くには、実は『腐海』という植物の海が広がり、人間が参入できない地下という世界で、植物が生き生きと生い茂り、酸素を作り出すシーンを描いていた。人間は、人間だけでは生きていけないのだ。そういうことを、思い知らされる作品なのである。
宮崎駿はあまりメディアにも出ず、淡々としていて、少し浮世離れした印象を持つかもしれないが、実際、その『浮世』とは文字通り、『浮ついている世界の人々』なのかもしれない。その『浮世』から離れることが出来ている、つまり一線を画すことが出来ている彼のような世の賢人には、これらの事実が見えているのかもしれない。”ナスカの地上絵は、上空からしかその概要を把握できない”ように、彼らのような偉人ほど上空に居る人間には、地上で暮らす人間、つまり『浮世』には見えない事実が見えているのかもしれない。我々人間は、虫や動物や植物と、何も変わらない存在なのかもしれない。それなのに、人間が神であるようにふるまっていていいのだろうか。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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