名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
アインシュタインにこう言われたら、完璧主義の私など、もう『その分野への追及』に対して、やる気が起きなくなってくる。各分野にこういう偉人がいることは、間違いなくそういう考え方をする人間を輩出する原因になっているだろう。
しかし、ウォルト・ディズニーが言うように、
それは単なる『甘え』だ。だが実際は、書いたような人が多いことは、事実だ。もちろんアインシュタインは、未来の子々孫々にそういう風に想わせるために言ったわけではない。例えば、こう言っていたのだ。
『私は、あまり人付き合いしませんし、家庭的でもありません。私は平穏に暮らしたい。私が知りたいのは、神がどうやってこの世界を創造したかということです。わたしは、あれやこれやの現象だの、元素のスペクトルだのに興味はありません。私が知りたいのは神の思考であって、その他の事は、些末なことなのです。』
突き詰めれば詰めるほど、その答えに辿り着けないことを知り、自分が、人間が、どこまでいっても無知であることを悟ったのだ。この位置にまで来ると、『人間に差などない』と達観し、我々の命は一切の森羅万象と同じなのだ、と気づくことになる。
だが、我々人間は、『空白』からエネルギーを捻出して、今日も明日も前に進んでいくのだ。『空白を埋める』ことを念頭に置いている。未開発、未開拓、未踏未達の新境地に到達する為、それが自分個人の場合でも、人間全体の場合でも、そのことを念頭に置いて、邁進していく。その延長線上には何もない。突き詰めすぎた天才、アインシュタインの一言からは、そういうある種の虚無感が漂うが、とんでもない。
それでも人間の命が、躍動している。それは事実だ。これが人間の『意地』なのだとしても、私はその『意地』がとても好きである。心から感動するのだ。ただし私はこの記事に、
その法則は目に見えない故、人々はそれを各自で独自解釈し、『真理』と言ったり、『愛』と言ったり、『神』と言ったりしている。しかし実際には、人々はこれらが『何であるか』を正確に言い当てることができないし、未だにその全容も理解できていない。何しろこれらは目に見えないし、形をもっていないからだ。
と書いたが、『未だに』というよりは、これを人間が完全に解明する日は来ないだろう。『それ』が相手の場合は、誠に相手が悪いのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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