儒教の始祖 孔子(画像)
Contents|目次
弟子が孔子のことを書いた『論語』には、同じような言葉が10近くある。これはどういうことか。では、自分より優れた者を友としようとするのなら、相手からすれば、自分は劣った存在になり、矛盾が発生する。人間の四聖に数えられる孔子が、こういう無意味なことは言わない。これは、決して人を『差別』する言葉ではないのだ。人に優劣をつけるような、そういう低次元の話ではない。孔子は、小学生ではないのだ。
孔子は、有益な友として、
を挙げている。そして悪友の例として、
を挙げているのだが、まあこうしてみると、私はなんとこの『悪友』を好きになれないことか。見栄と見得の意味をわかってない人間や、反応的でコバンザメのような主体性のない人間、表裏的で軽薄な人間は、私はずっと昔から嫌いだった。そして、経営者として義利合一を求めて邁進していると、正直で、誠実で、崇高な理念がなければ淘汰されることを思い知った。
自分より人格的に劣った者を”友”としてはならない。つまり、そういう悪友に成り下がるな、そういう悪友を友として扱うな、ということ。
自分が悪友に当てはまるなら、諦めるな、そう決めつけるなということだ。周りに悪友に当てはまる者がいるのなら、なめ合うのではなく、見捨てるのでもなく、思い知ってもらうべきだということだ。悪友はいるべきではない。いるべきなのは、友だ。
子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすることなかれ。