儒教の始祖 孔子(画像)
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よくいるのが、『ジェネラリスト(司令官)になるのだから、俺はスペシャリスト(専門職)になる必要はない。』と、おごり高ぶっている人。また、スペシャリスト(職人気質)のまま頑なに自分を変えない人だ。
私の場合は、後者である。私の場合、正直自分一人で起業して、いつも一緒に仕事をする人たちが途中であきらめる仕事で、私だけ諦めず、道を開拓して、自分の生活を確立させてきた。職に困ったことが無いのだ。一時的にはもちろん窮地に陥るが、必ず打開策を見つけてきた。少なくとも今までは。
それは私の持論が、
『金鉱を掘り当てることが出来るのは、最後まで掘り続けた人だけだ。』
というものだからだ。
だが、世の中には『コンコルドの誤謬』というものがあって、引き際を見極めなければならないときもある。そんなジレンマの中、葛藤し、もがき、なんとか自分一人の道を切り開くことは出来ても、それ以上のことは出来ない。スペシャリストには、限界があるのだ。
もちろん、まずはそういう気概がなければならない。甲斐性がなければならない。全ての責任を自分で背負う、覚悟がなければならない。そういう、スペシャリストでなければならない。だが、ここで話しているのは『リーダー』の話だ。『リーダー』とは、指導者、案内人、指揮者、司令塔、総監督、責任者、といった意味合いを持つ。
つまり、『複数』なのだ。『一人』ではない。自分一人で出来ることは限られている。部下の命を預かっている以上、どこかでジェネラリストになるべく方向転換を余儀なくされるだろう。そのことを覚えておかなければならない。ただのジェネラリストでも、ただのスペシャリストでも、リーダーには相応しくない。
子曰く、君子は器ならず。