儒教の始祖 孔子(画像)
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ソクラテス、キリストは無実の罪で大衆に処刑された。しかし当時の大衆は、彼らを『無実』だとは思わなかった。孔子も『出世をもくろむ口先人間』と罵声を浴びせられたこともある。ヒンズー教のカースト制度に異論を唱えたブッダの教えである仏教も、結局そのカースト制度の最下位に取り込まれたという。しかし時が経ち、彼らは『無実』であり、それどころか現在では圧倒的な支持を得る人物、もしくは神として評価されている。
あるいはドイツの哲学者ヤスパースは、『偉大な哲学者たち』の第一巻に彼ら『四聖』を挙げていて、彼らを『人間の基準を与えた人々』とみなした。
広告の神と言われた、クロード・ホプキンズは言う。
世間の評価は本当に正しいのだろうか。ルソー曰く、それは『一般意志』であれば正しい。しかし、『会衆、モッブ、パニック』という集団心理があって、『会衆』とは、受動的な関心で集まった人達の事。『モッブ』とは、強い感情に支配された集団の事で、暴動が起きるケースなどにあたる。『パニック』は、突発的な危険に遭遇して、群衆全体が混乱に陥ることであるが、
この集団心理を考えても、前述したように『集団』には意志があるようで、まるでないのだ。右へ流れたら、無意識に自分も右へ流れてしまう。 それが『集団』なのだ。 世の偉人、賢人が当時批判の的になったのは、それだけ彼らが、聞人(ぶんじん。世間によく名の聞こえた人)や郷原(きょうげん。世渡りのうまいお調子者)を向こうに廻して、自らの信ずるところに従って、堂々と主張し、行動した勇者だったという証拠なのである。
君子なるかな遽伯玉、邦に道あればすなわち仕え、邦に道なければすなわち巻きてこれを懐にすべし。