儒教の始祖 孔子(画像)
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礼儀を重んじている様に見せたい人は、人が見ているとき、あるいは見ているかもしれないとき、見られる可能性のあるときには、人は頭を下げるだろう。問題は、見ていないときにそれをしているかどうかだ。
孔子は、
と言って、表面的な挙措動作に重きを置かなかった。それはそうだ。表面では頭を下げてヘラヘラしておいて、実際の部分では、
(ちっ、早く消えろよ馬鹿が)
などと思っている人間に、礼儀などあるわけがないだろう。もちろん、それを『やらせる側』にも責任はある。見ていない時にでも頭を下げたくなるような人生を生きていなければ、およそそんなことにはならないのだから。
義務もないのに、去りゆく背中に思わず深々と頭を下げ、あるいは敬礼をして見えなくなるまで動かないというシーンをたまに見る。本当に、人が礼儀を正したいと思うのは、そういうシーンなのである。
人を他邦に問えば、再拝してこれを送る。