儒教の始祖 孔子(画像)
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『人間』というのはもちろん、自分もそうだし、他人のこともそうだ。孔子は、弟子に
知とはなんですか?/say]
と聞かれ、答えた。
『人間を知ることだ。』
周りを見渡せば、悲劇のヒーロー・ヒロインを気取っている人間が多く見受けられる。自分のことを理解してほしい。他人は自分のことを誤解している。なんで自分は理解されないんだ。そういう風に嘆く時期は、人間誰にでもある。だから幼少の頃はいい。しかし、いつまでも『幼少』でいるのは、いささか恥を知らなければならない。人間を知る。それで抱えている問題は解決だ。例えば、『『中国古典』の教え』の『史記』にあるのはこうだ。
『地位が上がったり下がったりすることによって、付き合いの深さが良くわかる』
こちらが調子のいい時は放っておいても人は集まるが、落ち目になると、さっと去っていく。遥か昔から今において、変わることのない愚かな習性である。
(中略)『だが、初めからそれが人情だと心得ていれば、人が寄ってきたからといって喜ぶこともないし、去っていったからといって嘆くこともないのである。』
人間を知るのだ。人間は往々にして、愚かで、虚しい。しかしそれは自分も同じだ。 儚い。それがこの人生という一生である。だが、別に『それ』でいいのだ。『それ』だとしたら、『それ』なりの生き方をすればいいだけだ。理解などされる必要はない。理解すればいいだけだ。そうすれば本当に理解させたい相手だけに、理解される人生になる。
子曰わく、人の己を知らざることを患えず。人を知らざることを患う。