儒教の始祖 孔子(画像)
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孔子の『適材適所』な考え方とは違って、弟子の孟子は、すべての人間の能力は生まれながらにして等しいものであるとの前提に立って自説を展開している。『人間に生まれついていながら正義を行えないという者は、自ら人間であることを否定しているのだ。』とまで言っていたという。
これを受けて、正直私の個人的な感想は、『孟子派』である。詳しくは『天才の仕組み』に書いたが、その理由は、『天才とは、生まれながらにして天才だったのではなく、努力に努力、そのまた努力を積み重ねて昇華した存在なのだ』という断固とした意見があるからである。
だから『孟子派』。いや、厳密に言うと、『初期設定は孟子派』である。つまり、指導・教育の対象者の年齢や状況次第では、『孔子派』になるだろう。だが、対象者が健康な10代、20代の可能性に満ち溢れた時期に、『孟子派』の考え方は、理に適っているのだ。その時期に多少できない結果が続いたからといって、すぐに対象者に対し、(こいつは出来る、あいつは出来ない)というレッテルを貼るのは、いささか早合点だからだ。
しかし『孟子派』にはデメリットがあって、一斉に教室や何かで生徒に指導をするとなった場合、確実に生徒間に、結果の格差が出てくる。そうなると、『落ちこぼれ』的存在が出てきてしまい、腐る原因を作ってしまうのだ。
私も現在進行中で、20代の部下を育てているが(私自身が未熟なのだが)、そこでたどり着いたのは、『初期設定孟子派。のちに孔子派』という教育法である。全員をオールマイティに活躍する『戦士』に育てるのは当たり前だ。だがその中に、もしかしたら猪突猛進に前線で本領を発揮するのではなく、背後から、その前線の部隊をバックアップすることに適した人材がいるかもしれない。
弓を使いこなしたり、食料を補強したり。それは極めて、重要な仕事だ。こういう話がある。
古代中国の大帝国、『漢』の高祖となった『劉邦(りゅうほう)』の天下取りを助けた三羽ガラスは、軍師の張良(ちょうりょう)、勇将の韓信(かんしん)、そして蕭何 (しょうか)である。彼らの職務を現代風にいえば、張良はさしずめ企画室長で、韓信は営業部長、蕭何は総務部長であろう。劉邦は皇帝の位について、論功行賞を行ったとき、『最高の功績は蕭何にあり』 と言って、『戦場の支援をした蕭何 (しょうか)』を最も評価したのだ。
考えれば当たり前だ。 対象者が、60歳を過ぎた高齢者の場合もあるのだ。 だとしたら彼らを、腕力がものをいう戦場の前線に置くのは違う。彼らに適した、ポジションがあるのだ。指導者は対象者のそれを見極めて、適材適所に配置することが求められている。
子曰わく、中人以上はもって上を語ぐべきも、中人以下はもって上を語ぐべからざるなり。