儒教の始祖 孔子(画像)
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例えばソクラテスは、
と言って、子供よりも家族よりも、『真理』のみを重視せよと言った。これは考えれば当たり前で、例えば自分の子供が、『無差別連続殺人及び、無差別連続強姦魔』であれば、親はどうしたらいいだろうか。
親の下へ駈け込んで来た。
最愛の一人息子だ。そして実は、その前に一人子供が居て、早くに亡くなっていたのだ。その時に母は、強く決意した。
(次に産まれた子を、この子の分まで愛そう。)
だが、その結果がそれだ。いつも庇ってあげていた。お金で解決できるならするし、権力も多少持っていたから隠蔽出来た。だが、その結果がそれだ。歪曲した愛情を注いでいたのだ。『殺された、強姦された、被害者、被害者の家族の人生は?』うするつもりだろうか。そこまで考えたら、ソクラテスの言葉の意味もわかるだろう。その場合、親は何をすればいいだろうか。
『愛している』?そんなのは誰でも同じだ。育児と教育は違うのだ。孔子が言うのも同じだ。親は子を庇う。子は親を庇う。そういう人間の感情は、あって当たり前だと言っているだけだ。ただ、『育児と教育が違う』ように、状況によって『教育』が、警察に突き出して一生刑務所に入れるということもあるだろう。それを強制的にではなく、親の、自分の意志で決断する。それは容易ではないが、それが『庇う』ということだ。
『庇う』というのは、助け、守るという意味。そういう究極的な場面で考えるなら、それ以上罪を重ねないように、子を守る為に、刑務所や精神病棟に隔離する決断をするのだ。『庇う』というのは『隠蔽する』という意味ではない。それがわかれば、まず十分だろう。後はここで考えた最悪のケースにならないように、真の愛情でもって『教育』の使命を全うすればいい。全ての親が、教育という愛情を全うする使命があるのだ。
孔子曰わく、吾が党の直き者はこれに異なり。父は子のために隠し、子は父のために隠す。直きことその中にあり。