儒教の始祖 孔子(画像)
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内省
人は『執着』する生き物だ。仏教の開祖ブッダは、『罪』の定義を、その『執着』だと言った。『甘い汁』に執着したい人からすればそれは聞きたくもない戒めかもしれないが、奴隷、虐待、虐め、不治の病、不慮の事故、不可避の天災、老化、悩み、憂い、といったあらゆる嘆きの種、苦しみの原因に直面している人間は、その執着は間違っている。
と正されたなら、救われるだろう。またそこまで考えると、『甘い汁』に執着している人も同じことだとわかるだろう。その『甘い汁』に執着するということは、『甘い汁が枯渇したとき(無くなってしまったとき)』の、自分が、物足りないと思ってしまっている。つまり『執着』している。甘い汁で満たされている自分以外は、自分ではない、と、思い違いをしている。
孔子は弟子のゼンキュウに言った。
『お前は力の限り職務を尽くすどころか、職を失いたくないばかりに悪事に加担しようとしているではないか。』
ゼンキュウは立場、権力に『執着』してしまったのだ。そして孔子に戒められ、恥かいた。だが、それで済んだから良しとしなければならない。孔子ほどのメンターがいたことは奇跡だ。大抵の場合はそう助言してくれるメンターなど皆無。一時の恥をかくどころか、一生惨めな思いを強いられる結果も起こり得ただろう。
参照文献
季氏第十六-一
孔子曰わく、求よ、周任に言あり曰わく、力を陳べて列に就き、能わざれば止む。
関連する『黄金律』
『人間が転落するタイミングは決まっている。「得意時代」だ。』 “]
『失敗をすぐに認められるか、それとも隠蔽するかで人間の価値は決まる。』