儒教の始祖 孔子(画像)
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内省
人の道というものは、見えない。どう歩いていけばいいかわからないから、皆、迷って、踏み外して、逸れて、ときに道の外を歩く。そして『道の外』を歩く人間はこう言われる。『外道』だと。わかっていれば歩くのだ。わざわざ逸れたりはしない。しかし、先頭を歩く者が不甲斐なかったり、あるいは道標になる者、明かりを照らす者がいなければ、知らぬ間に逸れてしまう。そういうものだ。
道の外は霧がかっていて視界が悪い。だが、だからこそ刺激が足りない未熟な時期に、『その霧の向こうには楽園がある』という幻想を抱かせてしまう。しかし往々にして『道の外』にあるのは、底の見えない奈落の底である。
もし『道の外』に逸れてしまったら、それは決してあなただけのせいではない。もしそこから無事に上がってこれたら、今後は自分が、『道しるべ』の役目を担うのだ。『外道』時代に体験した貴重な経験を活かし、自分が、かつての自分の様に道を迷っている人間の道しるべとなり、道に光を照らし、誘うべし。
参照文献
雍也第六-十七
子曰わく、誰か能く出ずるに戸に由らざらん。なんぞこの道に由ることなきや。