儒教の始祖 孔子(画像)
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国民を駒だと思いがちだと言ったのは、国民の中には本当に愚か者もいるからである。また、上からその群衆の行動を見ていると、あまりその愚か者と他の者とに大差がないのだ。もちろん、人としての価値や信頼性や築いてきたものに差異はあっても、大体同じような行動を取る。これを上から見下ろすとき、
(やっぱりな)
とか、
(なんと愚かなことか)
とか、
(無知で浅薄で軽薄で単純だ)
とか、ついつい思ってしまいがちなのだ。だが、当然そんな人間が上に立っていいわけがない。そんな人間でも上に立てたのは、下が馬鹿だからではない。別に下は興味が無いだけだ。興味が無い人々から頭一つ抜きんでて上に立ったと思うなら、まるで『ウサギとカメ』だ。
カメは『のろい』のではない。最初から『陸上レースでウサギに勝利することに興味はない』のだ。カメのホームは海だし、最初から勝ち負けを決めるレースだと思っていない。ウサギだけだ。そう思って一人で浮ついて、挙句の果てには駆逐されたのは。それでも駒扱いするなら、同じようにそれをした為政者も、駒扱いされるだろう。
子曰わく、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。