儒教の始祖 孔子(画像)
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確かに、『コンコルドの誤謬』の概念はある。だが、同じくらい、こういう金言もある。
『金鉱で金を掘り当てることが出来るのは、最後まで掘るのを止めなかった人だ。』
別に、自分の代だけで終わらないケースもあるはずだ。会社の発展とか、道路の建設とか、道の開拓。自分の代でまず基礎基盤を造り上げ、そして次の代に更にその基盤を広げてもらう。よく考えたら化学もテクノロジーも、いや、命でさえも『バトンタッチ』なのだ。未踏未達のミッションを成し遂げるためには、不撓不屈の精神が必要なのだ。
数年前私のごく近くに、同じ失敗をしないと約束し、その1時間後に同じ失敗を堂々とするような、そういう想像を絶する無責任で軽薄な男がいた。彼は自分のことを悲劇のヒーローか何かだと勘違いし、放っておいても誰かが何とかしてくれると思い込み、金の問題も親が、女の問題も女から働きかけるからと、ろくでなし極まりない人生を送り、それを一生続けると明言したのだ。
(どうせ無理です)
そういう負のオーラが骨の髄にまで染み込んでいた彼に対し、
と言うと、
彼は言った。
こういう人間を見たことがあるだろうか。正直私は、針を振り切りすぎていて逆に勉強になった。私は私で極めて問題児であらゆる上司、指導者の手を焼かしてきたが、私とはまた違う、こういう性根が腐りきった人間もいるのだ。私はプライドの塊だが、彼にはそのプライドが微塵もないのだ。プライドを煽る言葉が、粉みじんも通用しない。
ブッダは言った。
と。自分の人生然り、何かに『執着』している人間は、得られるものも矮小である。ちなみに彼はまだ私の部下である。その答えは明白。私が彼の矯正をすぐに終わらせることに、執着していないからだ。
子曰わく、たとえば山を為るがごとし。いまだ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり。