儒教の始祖 孔子(画像)
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お金や不動産、高級車や高級時計ということをまず置いておいて、例えば『不要品』が1億個あったらどうだろうか。そう考えると、物質的豊かさと人生の豊かさは比例しない。むしろその不要品が邪魔で邪魔で仕方がなく、ストレスが溜まって人生の足を引っ張るだろう。
では、お金や不動産、高級車や高級時計に戻ろう。それは『不要品』ではないのだろうか。その存在によって『足を引っ張られる』のであれば、『不要品』だ。借金をした、ローンが払えない、負債である、浪費である、そう考えるとそれらだって『不要品』になるし、大切な人間関係を壊す可能性や、それと引き換えに失った代償や、犯したリスクがあるのであれば、それは自分の人生の足を引っ張っていることになる。
つまり、支配されているのなら、ダメだ。支配しているのであれば、それはいい。
孔子はこうも言う。
『見当違いの方法で、富や社会的地位を得たって、そんなものは空に浮かぶ雲のようにとらえどころのない、虚しいものだ。』
人生を短絡的に考えてはならない。たとえ『コレクション』だと自負していて今は満足していても、それが後で仇になって、違うことに投資をしていればもっと違う未来があった、あるいは子孫へのバトンタッチを良きものに出来た、そう考えたら、それは『浪費』だったという考えも出来るのだ。常に自分を過信せず、俯瞰的な視点を持っていなければならない。
子曰く、疏食を飯い、水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中にあり。