儒教の始祖 孔子(画像)
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先生のように振る舞って人に偉そうにする人がいる。いや実は『先生』の対義語は『生徒』ではなく、『後生』であると言われていて、つまり『後に生まれた者』は皆、『先に生まれた者』、つまり『先生』に物事を習うべきだというのが基本の考え方ではあるのだ。
しかし、だからといって世の先生たちは、『先生』に甘んじて偉そうにする前に、まずやるべきことがあるはずである。まず『偉そう』という言葉が出ている時点で、その部分を真っ先に直すことが『やるべきこと』の一つである。なぜなら、『偉そうな人に、偉い人はいない』からだ。そう考えると、偉くもないのにただ『先生』だからといって思い上がり、『後生』に物を教えようなどと、とんでもない。
もし反発を食らい、挙句の果てにはその対象者に『反抗期』などというレッテルを貼るようであれば、よもや、物を教えるという意味での『先生』としての役割も、先に生まれて智慧ある『先生』としての存在意義もない。先生たる者、先に生まれ、あるいは物を教える人間たる責任を理解するべし。
詩に云う、戦々兢々として深淵に臨むがごとく、薄冰を履むがごとし。