儒教の始祖 孔子(画像)
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『膨張』と 『成長』は違う。
私はこの言葉を『経営の教科書』で見たとき、兼ねてから頭の中に浮かんでいた『?』の部分にスッポリと当てはまり、そしてそれは永久に抜け落ちない不動のパズルのワンピースだということを悟った。
なんという叡智だろう。それを言ってくれる人は、その本を読むまで誰一人いなかった。恩師もだ。彼らは私の永遠の恩師だが、それでもその言葉は出なかった。だから読書は素晴らしいのだ。そして何より、孔子はそれを2500年も前から理解していた。孔子も含めた四聖の到達した境地の凄さを、物語っている。
例えば『義務教育』というが、SEXやお金、麻薬や煙草、法律や塀の中、そういうことに対する知識を教えないのは、人間の『基礎』を作るという名目のはずの、『義務教育』ではない。人間が往々にしてこの長い人生でつまづくのは、自分の私利私欲のコントロール不足が原因である。そこを暗黙にしてはならない。
暗黙にすると、もしかしたらその『雲架かった』道の向こうに、『楽園』があるかもしれない。人間とは、そういう風に期待してしまう、愚かな生き物なのだ。だが、あるのは『崖の底』だ。這い上がるのは容易ではない。『人間』を暗黙にしないで、明白にする。これこそが、教育の基礎にあるべく姿である。
膨張の方向は実に楽しそうだ。明るく見えて、人が群がり、色々な欲望が満たされる。しかし、膨張は弾けるのである。ジョン・K・ガルブレイスの名著『バブルの物語』にはこうある。
『1636年のチューリップ狂以来、何ら変わっていない。個人も機関も、富の増大から得られる素晴らしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調を揃えて進んでいるという一般的な受け止めかたによって守られている。』
つまり、金を持てば持つほど自分の知性も比例して増えている。そう思い上がってしまう罠が、この世にはあるのだ。バブル時代、まるで自分の富と比例して自分の力が増幅したかのような錯覚を覚え、 人間は夜通し遊び、右から左に金を動かし、利を満たした。しかし、それは単なる勘違いだった。そして天から地に堕ちた。これこそが、成長と膨張の違いをズバリ表した、人間の実践的な教訓である。
よく考えてみればわかるはずだ。武器や麻薬を売買し、孤児をさらって売りとばして富を得る。そりゃあ、莫大な財産を手にするだろう。ハイリスクは、ハイリターンだからだ。
だがそれは一時的なこと。それに、その方法で得た富の分だけ『知性』が増えるか? そこまで考えると、孔子と孟子の教え『孔孟教』が説く『義利合一』という概念は、 あまりにも群を抜いていることに気が付くだろう。
子曰く、速やかならんと欲することなかれ。小利を見ることなかれ。