儒教の始祖 孔子(画像)
Contents|目次
内省
上下関係や礼儀を重んじた孔子は、『三愆(さんけん)』と称して、 三つの過ちをこう述べた。
- 上司に言うべき時ではないのに言う『悪乗り』
- 言うべき時に言わない『乗り遅れ』
- 上司の反応を無視して言う『暴走』
これをすることは部下として好ましくない。部下としては『出来の悪い部下』と評価されるだろう。もし私がこのうちのどれかをやってしまうとしたら、どれが当てはまるだろうか。
まず①だ。私は今までの上司に、『言ってほしくないと思っているだろう意見』を言い、怪訝な顔をされ、力でねじ伏せられようとしたことが何度もある。今までの『上司』は、『そういう人間』だった。つまり、彼らが『言ってほしい意見』とは、『おべっか』であり、部下に取ってほしい態度は、『媚び』だったのだ。
②はどうだ。①で書いたとおりだが、『言うべき時に言わない』というのは、『(エセ)上司』が、『言うべき時(媚を売ってほしいとき)に言わない(媚を売らない)』という意味なら、私は当てはまる。私は媚は売らないし、誘導にも引っかからないし、操られることもないし、むしろ操られたふりをする。
そして③だが、そんな『(エセ)上司』の反応を無視して、それまでこっちにしてきた全ての採算を合わせるかのように、『私が本当に言うべき意見』を言い、そして『(エセ)上司』との関係を終わらせる。私には全てが当てはまるが、そもそも、私の上司が、『エセ』だからいけなかったのだ。これが本当の『上司』に相応しい人間だったら、私は強い忠誠心を見せる。その証拠に、もう10年以上も会ってないかつての指導者のことを、私はずっと『恩師』と言い続け、そしてそれは一生言い続ける。
今の私の上司は、孔子、ソクラテス、ブッダ、キリストといった四聖であり、この世に生まれた全ての偉人だ。 確かに孔子の言う通りの『三愆(さんけん)』は良くない。
だがその前に、まず相手は本当に『上司』なのだろうか。『友人』なのだろうか。それが重要である。それによっては言った方が良いし、言わない方が良いことがある。 目の前で不正をしている『上司』がいる。それは本当に『上司』か? 考えてみればわかるはずである。
参照文献
駟も舌に及ばず。