儒教の始祖 孔子(画像)
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年下が、年上に対して、友人が、友人に対して、年上が、年下に対して、男が、女に対して、女が、男に対して、それぞれからの方向は、皆、同じ言い回しでは通用しない場合がある。外国人が、外国人に対して、などもそうだ。その伝達、コミュニケーションがうまくいくのであれば、 世の中のトラブルは激減するだろう。 誤解、勘違いがなくなる。 真意が歪曲することなく、相手に誠意が伝わる。
例えば、どこかの民族を訪問したとき、
と言って、村では豪勢な食事である『虫』を食事に出されたとする。自分は虫を見るだけで発狂するという人間。だが、それを拒むのは相手のおもてなしの心をないがしろにすることになる。だが、食べなければ食べないで、それについて激昂する相手も相手だ。 食文化の違いを無理やり強要しようと思う気持ちがある相手も悪い。相手は歓迎している。こちらもそれに応えたい。だが、 それがうまくいかないのが、人間なのである。
私は『よく喋る』人間だった。幼少の頃から、『5分でいいから黙って』などと家族によく言われていたのを克明に覚えている。友人間でもそうだった。だが、『印象を意識する相手』と接するときは、『印象管理』をしていた。 お喋りな性格を抑えたりして、見栄を張ろうとしたのだ。認めてもらいたい年上、好意のある女性、なめられたくない年下、 彼らの前では違う自分を演じようとしていた。そういう自分を経験してきて、自分のあるべき姿はどちらなのだろうかを葛藤した。
20年ほど意識ある人生を生きてきて、実に幾多の波乱万丈な人生を生き、数々の葛藤を繰り返し、 私が今取っている態度はどうだろうか。今私が取っている態度は、
『言うべき時には何があっても、たとえどんな代償を払っても絶対に言う。だが、言う理由がない場面では、ピクリともそれを口から発することはない。』
というスタンスである。 周りは私のあまりのそのギャップに翻弄されているようだ。何か月も何年もじっと黙っている様を見て親は、『何を考えているかわからない』と言ったし、寡黙で紳士を演じ切っている顔見知り程度の人間関係では、女性は『物腰やわらかくて、素敵』と言い、男性は『女だったら惚れている』と言う。そして私が激昂し、凶暴に怒り狂う様を見てきている部下は、説教の場面で私が手を上げて頭をかこうとしただけで、身体をビクつかせる。
では、お喋りで奔放な幼少期からの立居振舞をするとどうなるだろうか。『軽くて、遊び人で、軽薄で能天気な馬鹿』だと思われていたのだ。だから私はそれを『卒業』したのだ。『羽化』した。つまり、確かにその姿は私の本当の姿だったが、 それは『サナギ時代』だったのだ。
もう羽化した。そして『蝶』になった。だからサナギ時代とは違う自分を生きている。サナギ時代に、嫌な思いをたくさんしたのだ。お喋りで人を楽しませ、自分も楽しんでいるつもりだった。 確かに表面はそうだった。 だが、心底の部分が、いつも満たされていなかった。
私は圧倒的な『ネアカ(根暗の真逆)』なので、 長い間それについて特に憂うこともなく、 嫌なことに屈することなく、前向きな気運を取り込んできたのだが、会社を立ち上げ、入社する人間とそうでない人間が現れ、その後の人生でも、おそらく結婚をし、子供が生まれ、ということになってくると、今までのように全ての人を『平等に』扱ってはいけないという結論にたどり着いたのだ。『公正』に扱うべきなのだと。 心血を注ぐ方向を、集中させなければならないと。
そして私のサナギ時代は終わった。いやたしかに、今でもサナギ時代の片鱗を見せると、人は少しほっとした表情になる。だが私は、人をほっとさせる為に生きているのではない。その時代は終わったのだ。それに人の評価など、あてにならない。態度を少し変えただけで、その『表面だけ見て』評価を変える。だから私は人の評価を気にして生きる人生ほど虚しいものはないと、常に思い続けてきたのだ。
この私の歴史を知らない全ての人たちには、誤解を生むかもしれない。だが、『誤解されたくない』という理由で人の顔色をうかがう人生を送る気は、サラサラないのだ。人に自分の気持ちを伝えるのは容易ではない。なにしろ、 その『伝える相手』の心が、虚ろなのだから。それに照準を合わせることは、雲を掴もうとするようなものなのである。
子曰く、辞は達するのみ。