儒教の始祖 孔子(画像)
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孔子に対し、謙虚で達観した仙人のような人物像を描いている人は、間違った解釈だ。孔子は、
『何もしないでボーっとするくらいなら、ギャンブルをやった方がまだいい。』
と言って、人生の勉強にならないことを強く否定していた。ギャンブルなら勝っても身になるし、負けても身になる。どちらにせよ、奢るか、腐るかという場面で人は学ぶことが大きい。何もしない人に比べれば得られる人生の経験値が違うのである。孔子は、『宝の持ち腐れ』であることを否定していた。才能を埋没させてはいけない。そう考えていたのだ。刀には、『抜かない美学』があるが、『抜いてこそ刀だ』というのが、孔子の考え方なのである。
私は17歳まで、『抜かない美学』を心得ていた。『抜く』と誰かが、蹴落とされる。幼少からそういうことについて憂いてきて、それならばと、重く鞘に剣を収めていた。自分にとって最大の絆だった人間関係がそれによって崩れたことも、 強く影響していただろう。
多くの人はそれを見て、『その姿が最大限だ』と見誤った。『そうであってほしい』のだ。人というのは、自分よりも劣る人間を見つけては、優越感に浸り、劣等感を覆い隠す弱き生き物だ。そんな周囲にも失望していた最中、恩師に出会ったのだ。彼らは見抜いた。そして、『宝の持ち腐れ』だとも、『君の潜在能力が見たい』だとも言った。見識がない人間にしか出会ったことがなかった私にとって、それは奇跡の体験にすら思えた。
人は、自分の能力を信じてもらえると大きなエネルギーを発揮する。それはもちろん、他人にでもあり、自分に信じてもらえる場合でも、当てはまるのだ。自分が信じなければ誰が信じる。まずは、そういう強い気持ちを燃やすことから、全ては始まるのだ。生きるエネルギーを燃やすべし。
子曰く、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我は賈を待つ者なり。