儒教の始祖 孔子(画像)
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内省
上を見て『妬む』のではない。下を見て『蔑む』のではない。上を見て『奮起』し、下を見て『戒める』のだ。それが小人と大人との差だ。また孔子は、
『賢者は根本的なところに習熟しているが、賢者でない者も枝葉末節に習熟しており、それはそれで大いに参考になる』
と言い、また、
『君子は高尚なことに通じているが、小物も世俗的なことには通じているものだ。』
という非常に参考になる話をしている。全くその通りではないか。その見方はとても見識に溢れている。きれいごとを言っている暇などない。世の中には、賢者とそうでない者がいる。彼らの人生を『平等』に扱うことはいいが、『公正』に扱うことは許されない。賢者たる者が歩んできた道と、そうでない者が踏み外してきた道とを、公正に評価してはならないからだ。
だがその中で、そうはいっても人は皆平等。能力や環境には差異、格差があり、そもそも人に優劣をつけるようなことがあってはならない。彼らが共になにかをするときは、そういう考え方でもって役割を割り振れば大きな功績を残せることだろう。今の世では、『企業組織』こそが、そういうヒエラルキーで成り立ち、大きな功績を残しているのだ。
もちろん精神が未熟な者は、いつまでもヒエラルキーの下にいることを戒めるべきだ。上を見て奮起し、下を見て戒め、向上心を絶やさず、共に補い合い、共生していくことが望ましい。
参照文献
里仁第四-十七
子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。