儒教の始祖 孔子(画像)
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自分の人生を真剣に生きようとする者ほど、大変な人生を生きるだろう。だが、『大変』とは、『大きく変わる』と書く。大きな人間、つまり『大人』に生まれ変わる為に、我々はそもそも、この人生を生きているはずなのである。まさか、一定の年齢に達したら自動的に大人になると思ってはおるまい。人間が決めた法律上で成人になることが、本当の意味で大人になったと心から思う人はいないだろう。形式だけだ。
成人とは、『大人に成る』という意味だ。成るという概念を将棋で考えてみても、ただの『歩』だった人間が、『金将』に成る。『成る』とは、『成功』にも使われるが、大人に成るという意味とは、考えている以上に、立派な事なのである。つまり、大変な思いをたくさんした人間だけが、大人に成る資格がある。孔子は、『窮地にこそ人間の真価が問われる』と言い、それまでは神や仏を軽んじていたくせに、手のひらを反して祈り始める人間を、批判した。
泰然自若(たいぜんじじゃく)とは、落ち着いていてどんなことにも動じないさま、のことを言う。もしイザというときに慌てふためいて、自分の力で克服することより先に、神や仏に軽率に助けを求めるような者がいたとするのなら、彼らが普段、『大変な人生』を避けていたということ。
人間は、人生を”楽しむ”権利がある。だが、”楽”をするのは、愚かである。人生を毅然と、泰然自若として生きていくためには、 ”イザ”ではなく、”普段”からの人生の生き方こそが、ものを言うのだ。
子曰く、君子固より窮す。小人窮すれば、ここに濫る。