儒教の始祖 孔子(画像)
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同調、追従、これらは、『自分の為』にやっていることだ。相手が怖いのだろう。周囲の目が気になるのだろう。自分の身が可愛いのだろう。どちらにせよ、自分の意見を歪曲させ、人にへつらったり、ゴマをすったり、調子を合わせるような人間は、本当に『人間』なのだろうか。『コバンザメ』じゃないのか。『負け犬』じゃないのか。
エマーソンは『独立独歩』というエッセイでこう述べている。
『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならないという確信に達する時期がある。』
それでも同調や追従をやめない彼らには、何を言っても、『豚に真珠』、『猫に小判』だ。
孔子は言う。
『立派なリーダーは部下を公平に扱ってえこひいきをしないが、ロクでもない上司はえこひいきばかりをする』
誇り高き人生を送ろうとしている人間からすれば、自分に媚を売って、えこひいきをしてもらおうとするような輩を、許すことなど絶対に無い。
『同調』の意味を辞書で引いてみよう。
他に調子を合わせること。他人の意見・主張などに賛同すること。
では『調和』はどうか。
全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。
『同調』から垣間見える人間心理とは、角が立つことを恐れ、そうならないためには自分の意見も押し殺し、相手に調子を合わせ、『その他大勢の一人』に成り下がる『弱さ』だ。
『調和』から垣間見えるの人間心理とは、人と人など70億通りの環境の差異があることを理解し、更には、国、宗教、慣習、言語、性別、趣味嗜好に至るまで、多種多様なこの人間関係の中で、『角立たないことなどありえない』ことを最初から理解している。
だがその中で、均整を取り、『和』を見出すために自分の意見をしっかりと主張し、自らのアイデンティティ(どういう人間かということ)を周囲に伝え、さしずめ、『見えない壁・オーラ』を創り出し、自分の人生を確立させる。そして、『真理』という圧倒的な原則を基にあらゆる試練と対立し、ことごとく問題を解決していく。まるで、掃除機をかけた後、クリーンな状態になるように、そういう人が通った後は、綺麗に『角が取れている』。そこで『和』が生まれるのだ。それは、『同調』している人には決して真似できないことだ。
それによって得られるあらゆる報酬は、『同調』して、『楽』な道に逃げた人間が得た『刹那的な快楽』とはまるで、比にならないほどの大きなものになるのだ。君子(良きリーダー)は、ストイックなのではない。それを知っている、ただそれだけのことなのである。
子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。