儒教の始祖 孔子(画像)
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何かあった時、相手のせいにするのは簡単だ。『子供』はよくそれをやる。しかし、何かあった時それを自分の責任だと考えるのは容易ではない。『大人』にしかできない。そういう風に、問題に対する対処一つで、人が『子供』か『大人』か、判断することがよくある。その考え方で間違いない。それが『子供』と『大人』の差だ。
言い訳など無限にある。『出来ない言い訳』を探すことだけを考える人間は、いくら年齢を重ねても、エセ大人だ。子供を素人、大人を玄人(プロ)とした場合、『人間のプロ』と言える生き方をしているかどうか、『自称大人』の人間は、自問するべきである。
例えば、『何かあった時に、責任は自分にある』などと簡単に言うが、もしどこからどう見ても相手に責任があったり心無い揶揄、誤解、理不尽、隠蔽、捏造、圧力、裏切りといった、明らかに歪曲した力が働いた場合、『自分の能力が及ばなかった。自分が無知で、無力だからいけないんだ。』と、考えることが出来るだろうか。それが出来てこそ、『プロ(大人)』である。
それは超上級者コースのケースだが、初級者コースを考えるときには、例えばこういうケースがいい。サービス系の会社を運営していて、HPだかチラシだかに問い合わせ時間の欄に『8時~23時』と書いていたとしよう。運営側は、それはあくまでも『電話での問い合わせ時間』で、『スタッフが直接伺って対応できる時間』ではないことを知っている。『常識』で考えても、そんなに遅くに家に伺うことはないと考える。
だが、ある客が『21時に来てほしい』と電話をかけてくる。そしてこっちのオペレーターが出る。
(対応は19時までなのに図々しい客だな。)
と思い、自分たちだけが知っている対応時間の張り紙を横目で再確認する。
とスタッフ。すると客は、
と言う。当たり前だ。客は『23時まで対応してくれる』と思っているのに、スタッフがそれを無下にはねのけるばかりか、自分の帰宅をも早く帰らせるように促すのだから。
このケースの正解はどちらが無知だと折れることだろうか。正解は、『自分の会社(プロ)』の方だ。相手が誤解をしたのは、自分の力不足に過ぎない。自分の会社の『常識』がどういうものか知らないが、相手にそれが伝わっていなければ、『プロ』として失格だ。わざわざ自分の会社を選んでくれたことも忘れ、なぜお客本位になれなかったのか。相手に因縁をつけるなど、客をカモとでも思っている証拠である。
その場合は速やかに誤解されたことを謝罪し、今後『改善』をするべきであり、その客には、自分の時間を潰して、対応時間外にでも必ず対処し、今回の一連の責任を取るべきである。その経験がまた、次の糧になるからだ。そして必ず、お客がそれらを一目でわかるように、全ての媒体の記載を修正するべきなのである。
相手の『無知』のせいにするか、自分の『無知 だと戒めるか。それで人の器は決まるのだ。そしてもちろん『小さい器』には、そこに入る、潤いを与える水の量もまた、微量である。
子曰く、君子重からざれば、すなわち威あらず。学べばすなわち固ならず。己に如かざる者を友とすることなかれ。過ちては、すなわち改むるに憚ることなかれ。