儒教の始祖 孔子(画像)
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欲を満たすことを後回しにする。あるいは、コップに水を静かに時間をかけて注ぎ、それでもコップの水を飲まない。飲むのは、長く注いだ後、こぼれたその水の分だけ。そういうコントロールが出来れば、人は半分人生を成功させたようなものではないだろうか。とかく人間とは、
派手な車に乗りたい。
高級な時計を見せびらかしたい。
大豪邸に住みたい。
美男美女をアクセサリーのように近くにおきたい。
高価なブランド物で身を固めたい。
高級な料理を暴食し、名だたる美酒に酔いしれたい。
そういう刹那的な快楽に、支配されて生きてしまうものだ。しかしそれでは、刹那的。人生はもちろん、未来永劫ではないが、刹那的でもない。それを追及して、本当に自分の人生の為になるのかどうか、考えてみることだ。
『人生』とは、一瞬だけではない。一瞬も一生も含めて、人生だ。3度やったら二度と抜けられないと言われているヘロインをやることは、刹那的だ。永劫的に考えられていない。つまり、人生を考えられていないのだ。
夢を持てない、将来が不安、希望が持てない、裏切られた、挫折した、大切な存在を失った、逮捕された、病気を患った、人生を考えられていないわけではなく、人生を生きていたら、打ちひしがされたという人もいるだろう。だが、
それでも夢を持ち、
目標を定め、
将来の子供の為、
死んだ家族の為、
たった一度の自分の人生の為に、
『人生』を生きなければならない。ハリウッドスターのケビン・コスナーは、その波乱万丈な俳優人生について、記者にインタビューされ、こう言った。
そう。『人生』とは、山もあるし、谷もある。海もあれば、砂漠もある。失ったからなんだ。足りないからなんだ。そんなことに屈し、『人生』を諦めてはならない。
byフォスディック
子曰く、君子は食飽くを求むることなく、居安きを求むることなし。