儒教の始祖 孔子(画像)
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リーダーとは、とかく毎日の陣頭指揮や、指導教育に慣れ、自分の存在が部下よりも高級なものだと思い違いをしてしまうものである。だが、違う。天は人の上に人を創らず。人間、みんな平等だ。だが、平等だけではだめだ。努力している人と寝そべってばかりいる人が、同じ待遇でいいわけがない。評価や報酬によって、格差をつけなければならない。それを、公正と呼ぶ。
平等、公正、その二つを重んじて、リーダーとは今日も明日も、その責務に勤しむ。その重い責任ゆえ、リーダーが人として越権的になることもしばしばある。そのときに、これらの極意を覚えておけば必ず道は開けるのだ。
『天命』とは、天の理法である。孔子は、『論語』の最終章句でも、
『天命を理解できないようでは、良きリーダーにはなれない』
と述べている。自分の力で人生を切り開いたつもりでも、実際は、それを支えた者がいる。誰一人支えていない環境だったとしても、それは、その不遇の環境を生み出した、反面教師たる人間関係に、逆に感謝しなければならない。その境遇がなければ、自分は這い上がる努力や、見返す根性を習得しなかったかもしれないからだ。人は見ていなくても、天は見ている。そういう俯瞰を、常に自分に抱き続けることが重要だ。
『大人』とは、現存する優れた先輩や人格者、メンター、恩師、賢者、偉人、天才といった、人間の鏡のような人々である。彼らの言葉は傾聴に値し、彼らの生き様は魂を揺り動かされる。自分の力を過信しそうになったら、彼らと比較することだ。比較して劣らないと思ったのであれば、それは意識的にそういう人間を選んだということ。つまり、『自惚れている』。自分には到底到達できそうのない『大人』は、必ずいるのだから。
『聖人』とは、読んで字のごとくである。私が日々内省の対象にしている『四聖』がその代表だ。孔子、ソクラテス、ブッダ、キリスト。彼ら人間の『四聖』と呼ばれた面々と比べ、自分はどれだけ人間を、人生を突き詰めたか。少しでも向き合えばすぐにわかるだろう。
これらの極意を忘れなければ、リーダーとしての『過信』はなくなるだろう。そして、謙虚さと『自信』を兼ね備えた、真のリーダーとして、輝き続けるだろう。
子曰く、君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。