儒教の始祖 孔子(画像)
Contents|目次
金を貸せなどという人間が友達かどうかということは、考えればわかるはずだ。
『友達』である。
『友達ではない』と言いたいところだが、事実、『友達』などそんなものだ。というか、『人間』がそうだ。だから人間を過信してはならない。人間というものは、私利私欲に突き動かされて生きている。
ゲーテは言う。
人間は往々にして、こういう生き物だ。チェーホフは言う。
『千年後にも人間はああ、人生はなんというつまらないものだろう!」と嘆き続けるにちがいない。そしてまた同時に、今と全く同じように死を恐れ、死ぬことを嫌がるに違いない。』
ソクラテスは言う。
人間は恒久的に、未熟なのだ。だが、『真友』ということになると、それは違ってくる。『親友』とも違う。ただ、ベタベタと親しくするわけではないのが、『真友』だ。この『真友』は、真実の友であり、真理に沿った言動を取ってくる。
金を貸すことについても、人に仕返しをすることについても、真理に沿って回答を決断する。例えその回答で、友との人間関係が表層的に崩れようとも、『真友』には関係ない。 彼は『友の役目』を果たしたのだ。
参照:子曰わく、道同じからざれば、相い為に謀らず。
(衛霊公第十五-四十)
子曰わく、道同じからざれば、相い為に謀らず。