第17の黄金律
『それは「行き止まり」ではない。ただの「曲がり角」だ。』
『目の前に壁が立ち塞がった』って、そりゃあそうだろう。『迷路』をやっているのだから。
同じ的を射た偉人(8人)
革命家 | 1 |
政治家・リーダー | |
発明家・ビジネスパーソン | |
哲学者・思想家 | |
作家・小説家・詩人 | 4 |
クリエーター・アーティスト | 1 |
支配者・将軍・軍師・棋士 | |
アスリート・剣豪 | |
科学者・学者 | 1 |
登山家・冒険家 | 1 |
身元不明 | |
四聖 |
同じ的を射た書物
5冊 |
- 『プランB』
- 『ビジョナリーカンパニー』
- 『ユダヤ人大富豪の教え』
- 『遠回りがいちばん遠くまで行ける』
- 『聖書88の言葉葉』
行き止まりにぶつかって、もう前に進めない?壁が目の前に立ち塞がって、どうしたらいいかわからない?そりゃあそうだろう。『迷路』をやっているのだから。その『スムーズに進めない感』を味わうことこそ、この人生という迷路の醍醐味なのである。
それともまさか、この人生が一度も壁にぶつかることのない、容易な一本道だった方がよかったとでも言うつもりだろうか。私ならそんな単調な人生を強いられたとしても、地面を掘って自分にしか歩けない道を探す。
わかりやすいイメージ・ヒント
自分が『勝手に』イメージしたシナリオや、『勝手に』期待したやり方が通用しなかったからといって絶望に浸る自分を、俯瞰で見た時の馬鹿馬鹿しさ。
壁だと思っていた場所が、あるボタンを押すと隠し扉が出てきて、次のステージに進めた。
迷路という初期設定
あぁ!!また行き止まりだ。。失敗だよ。。うぅ。
と考える人がいる。だが、それは単なる『曲がり角』だ。だとしたら曲がればいい。あるいは、引き返して違う道を探せばいい。あるいは、壁にハシゴをかけて登ってしまうか、壁を壊して道を開拓すればいい。一体『外』に何を期待しているのかわからないが、全ての答えは『内』にある。
『それが出来れば苦労しないよ』
『皆が皆、そう出来るとは限らないでしょ』
…と、判断するのは『内』だ。そして、
『よーし、やってやろうじゃないか!』
『どこかにこの壁を突破するヒントがあるはずだ。』
…と、判断するのも『内』だ。それとも、『外』から妖精がやってきて、これらの言葉をつぶやくとでもいうつもりだろうか。もう一度言おう。全ての答えは『内』にある。
関連リンク:
トニー・トニー・チョッパー『そうだ…やめよう…逃げるの…こいつに勝とう!』
プランAは失敗する
スタンフォード大学のコンサルティング教授にして、ルーカスアーツ・エンターテインメント社とクリスタル・ダイナミクス社のCEO等を務めるランディ・コミサーらの著書、『プランB』にはこうある。
プランAは失敗する
プランAに関する悲しい統計結果
意欲あふれる起業家には必ずプランAがある。実際、企業かという人たちは、レプチン同様に、プランAがうまくいくと思っている。彼らは自分がフォーチュン誌の表紙を飾ったときの様子や、『どうやってこのような最高の世界的ビジネスを創り上げたのですか?』と尋ねられたときのコメントまで想像しているのだろう。不幸なことに、たいてい予想ははずれる。
だが、真の男とガキの違いは、そのプランAが失敗したときの行動にある。この本で取り上げる起業家やビジョナリーは、そこで傷をなめて立ち直り、新たに身につけた洞察力を武器に、もっと大きなビジネスへと転じる。袋入りの新鮮な挽きたてコーヒーを売っていた小さな小売店が、すぐにあのスターバックスになったわけではない。効果的な無料検索ツールが、そのまま『ググる』という動詞を生み、Googleに投資した投資家に何十億も儲けさせたわけではない。これらの現在におけるグローバル・ブランドの成功の秘訣はそうしたプランAにあるのではなく、プランBにあるのだ。
プランAが失敗したからといって嘆く人がいるが、そもそもなぜ『プランAが成功すると思った』のか。そのプランAは、一体どのような計算ではじき出された計画だったのか。その計画にどれだけの確証があったのか。ないのなら、それが上手くいかないのは当たり前である。
大量のものを試して、うまくいったものを残す
『ビジョナリーカンパニー』にはこうある。
大量のものを試して、うまくいったものを残す
『わたしの想像力の範囲では、(環境に見事に適応した種を)特別に恵まれた本性を持っているとか、創造された本性を持っているとか考えるよりも、すべての生物の進化をもたらす一般的な法則の結果が積み重なったものだと考える方が、はるかに理解しやすい。つまり、繁殖し、変異し、強いものが生き残って弱いものが死に絶える法則である。』チャールズ・ダーウィン『種の起源』
『当社は確かに、新製品のいくつかに偶然にぶつかっている。しかし、動いていなければぶつかりもしないことを忘れてはならない。』リチャード・P・カールトン(3Mの元CEO)
『失敗は、当社にとって、もっとも大切な製品である。』R・W・ジョンソン・ジュニア(ジョンソン&ジョンソンの元CEO)
ビジョナリー・カンパニーの社史を調べていったとき、覚者でとくに成功した動きのうちいくつかが、綿密な戦略計画に基づくものではなく、実験、試行錯誤、臨機応変によるものであったり、文字通り、偶然の結果であったりするのに、わたしたちは驚かされた。あとから見れば、すばらしい戦略だと思えるものが、実のところは、いきあたりばったりの試行錯誤の結果であったり、『意図的な偶然』の結果であったりする。
偶然に消費財に進出したジョンソン&ジョンソン
1890年、消費ガーゼと絆創膏を主力製品にしていたジョンソン&ジョンソンはが、薬用絆創膏のいくつかで患者の皮膚が炎症を起こしたという広義の手紙を、ある意志から受け取った。フレッド・キルマー研究開発担当取締役はすぐに、イタリア風のスキン・パウダーをこの医師に送った。そして、いくつかの製品には、このパウダーを小さな缶に入れて同封しておくような会社に提案し、受け入れられた。
ところが意外なことに、このパウダーへの注文が消費者から直接に寄せられるようになった。そこでジョンソン&ジョンソンは、これに『ジョンソンズ・トイレット・アンド・ベビー・パウダー』という名前をつけて独立した商品として販売するようになり、これがやがて、世界のかなりの地域で家庭用の常備薬として有名になった。同社の公式の社史によれば、『当社がベビー・パウダーを販売するようになったのは、まったくの偶然によるものであった。』
本にはその他にも、マリオット、アメリカン・エクスプレス等において、同じような例を挙げている。
良いことも悪いことも解釈の仕方次第
複数の会社を経営する『お金の専門家』、本田健の著書、『ユダヤ人大富豪の教え』にはこうある。
良いことも悪いことも解釈の仕方次第
(省略)たとえば私は、ナチの強制収容所に危うく入れられそうになり、命からがら財産と呼べるものはほとんどもたずにアメリカに逃げてきた。それ自体悪いことだと考える人もいるかもしれないが、私はゼロから富を見出だすという力を身につけることができた。そして、多くの人と分かち合うことによって、たくさんの人を金持ちにしてきた。
もし、私があのままヨーロッパでそこそこ成功していれば、このような力を身につけることもなかっただろうし、多くの人を幸せにすることもできなかっただろう。そう考えると私にとっては、あのとき財産を失って着の身着のまま逃げ出したことが、いまの幸せをつくっているということになる。その人生の不思議さに感謝して、それを受け止めているのだよ。』
彼の場合、そこを決して『行き止まり』だと考えることはなかった。ただ、目の前に壁が立ちふさがっただけであり、そしてそれを淡々と『曲がり角だ』と捉えたのである。
乗り越えられることもあれば、方向転換をすることもある
実に50の職業経験と、世界40か国の旅を経験した有川真由美の著書、『遠回りがいちばん遠くまで行ける』にはこうある。
見えている景色が同じでも、ちゃんと前に進んでいることがある
(省略)思い通りにならないときは、『さて、あなたはどうしますか?』と自分の人生に試されているのかもしれません。大切なのは、そこから逃げないで、なんとかかんとか歩くのを止めないということ。乗り越えられることもあれば、方向転換をすることもあります。それでも、歩き続けて『これはこれでOK!』と思えれば、それでいいのです。もがいていたり、迷っていたり、つまずいたりすることは、ないかしら人生の糧になっていくのですから。
壁にぶつかったら、いっそのこと方向を変えてしまえばいい。歩き続けることを諦めてはならない。
新しい道へ進みなさい、という合図
早稲田大学商学部を卒業後、様々な経歴を経て、クリスチャン女性の国際的なグループ『Aglow International(アグロー・インターナショナル)』に所属する中村芳子の著書、『聖書88の言葉葉』にはこうある。
すべてのことが行き詰ってしまったら、新しい道へ進みなさい、という合図だ
今まで順調にいっていたことが、ある日突然壁にぶつかり、押しても引いてもどうにもならなくなる。なんとかしようと必死で努力しても、状況は改善するところか悪くなるばかり。落胆して何も考えられなくなり、動けなくなってしまうかもしれない。それは、きっとサインだ。あなたがそこでやるべきことは終わった。よくやった。さあ、新しい場所に行きなさい。新しい場所には、今までよりずっとすばらしい出会い、仕事、生きがいが待っている。さあ、進みなさいと。
『聖書』
初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。(イザヤ書43:18-19)
その壁は、『サイン』だ。サインにすぎない壁を、無意味に過大評価する必要などない。
壁にぶつかったのなら、それを『行き止まり』と考えるのではなく、『曲がり角』と考え、新たなる道を淡々と歩けばいい。逆に、なぜその道が容易な一本道だと思ったのだ。そこにあったのは『人生は自分の思い通りにスムーズにいく』と思い込もうとした、とある人間のエゴである。地球は人間の為にあるのではない。人間が地球で生きているのであり、そして、生きていくのだ。最後まで生き貫くのだ。