見栄や虚勢を捨て、土下座してまで守りたい絆は、あるだろうか。それだけ仲間や人間関係に、絆を見出す事はできるだろうか。私のかつての”似非”仲間たちは、自分達を正当化してきて10年以上になる。自分達が崇高で、他の地元の人間関係よりも絆が深いと言い張るのだ。その割には、一人減り、二人減り、この10年の間に随分メンバーが変わってしまっていて、それについて、特に執着せず、残った者同士で、まるで椅子取りゲームのように怯えながら、自分達の居場所の確保、正当化しているように見える。そのメンバーの中心人物だった私が言っているのだから、間違いない。
残念ながら、彼らはある種のピーターパンシンドローム(大人になりたくない症候群)であり、 “似非”ファミリーである。本当のファミリーであれば、私が仲間との絆について書いた『小冊子』の反応は、あのように、”見て見ぬふりをする選択肢”を取らないからである。私はその仲間の中心としていろいろと貢献していた時はちやほやされていたが、その本を書き、仲間を去ってからはまるで『用済み』、『ニーズ外』の烙印を押されたような扱いだった。
皆が私をちやほやしていたのは、私と仲良くすることが、その集団での『居場所の確保』になったからである。企画し、笑わせ、統率し、行動力のある私を、皆はある意味、利用していたのだ。その私が急に大人になり、仲間を去り、”本当の愛情”を注ぎ、それら一切の”貢献”をしなくなると、皆は私に対しての『存在価値』を落とした。ある人間は、私の努力の足を引っ張ろうとする。ある人間は、利権を奪おうとする。ある人間は、独断と偏見の歪曲した評価をつける。
私一人が間違っていることにすれば、皆は”変えずに済む”からそうするのである。私がそれらに傷ついて失望していたのは、2年前までだ。もう、時間が完全に解決した。もし彼らが私をもう一度必要とするのであれば、踏むべき手順を踏まなければならない。だが、正当化して生きてきた彼らにそんな勇気があるとは思えないし、現時点で、もう何人もの人間が、次のアクション(メール、電話等)の番が回ってきているにも関わらず、それを曖昧にし、あるいは物騒な言い方をすれば隠蔽し、闇に葬り、無かったかのようにしてしまっている。
私はいつでも彼らからのアクションがあれば、受け答えるつもりである。だが、それには筋を通さなければだめだ。普通、仲間に戻るのをお願いするのは、たった一人の側である、私の方だと思うだろう。だが、我々の場合は違う。仲間とは、”正しく在る方”である。つまり、99人が路頭に迷うチンピラで、1人が堅気であれば、 “仲間に戻る”のを志願するのは、99人の側なのである。
おそらく彼らは、多数決が正しいと思ってしまっているから正当化していると思うが、『赤信号、皆で渡れば怖くない』の言葉をよく考えた方がいい。周りに同調する人物がたくさんいれば、自分の行いが怖くないだろう。正当化できるだろう。だが、決して見誤ってはならない。赤信号は、『止まれ』である。
皆で渡って怖くなくなっているのはいいが、皆まとめて、ダンプカーに轢かれて死に目にあっても、彼らは病床で自分達の正当化を、続けられるのだろうか。私はそうは思わない。だから4年前、仲間に『本』を書いて渡した。本当の仲間とは、『そのままだといつかダンプカーに轢かれるぞ』と、たとえ仲間に煙たがられても、仲間の人生を本当に考え、そして行動する勇気のある人間なのである。
次のアクションは、彼らの番だ。私との関係を闇に葬り(真実から目を逸らし)、結婚式に私を呼ばずに挙げてしまうのも、選択肢の一つだ。私が築き上げた誕生日会を続けて、自分達の正当化を続けるのも選択肢の一つだ。拝金主義になり、手段を選ばず金儲けをして、酒と金で誤魔化し、内省の時間を5年、10年後へと先延ばしにするのも選択肢の一つだ。そして、過ちを認め、聞くべき意見を求め、私と一緒に悔いのない人生を送る決意をするのも選択肢の一つだ。
どちらが正しいのかを見極めるのは難しい問題だ。かくいう私は間違いなく一流思考だが、決して一流ではない。私が模範となる人生を送るのには、今以上の努力を最低でも10年は続ける必要がある。私は私で自分の正義を貫けばいいが、決して人のせいにせず、自分の力不足を思い知らなければならないのだ。これだけ、他人同士が本物の絆で結ばれることは、難しい。稀ではなく、ごくごく稀だということなのだ。全力で、文字通りお互いが死ぬ気で向き合わない限り、本物の絆を作ることはできない。
『アレ…!!!取り消すわ”けにはいかねぇがなぁー!!!ダメ”かな”-!!!…頼むからよお前らと一緒にいさせてくれぇ!!!もう一度…!!!おれを仲間に入れてぐれぇ!!!!』
同じような仲間を見つけ、利用して、この世をなるべく楽に生きようとしてはならない。仲間と運命を共にする。仲間と一緒に悔いのない人生を送る。皆さんは残りの人生で、そういう仲間を築いてほしい。私もそうする。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。