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たしぎ『どうしてこの時代 悪が強いんでしょうか!!』

こういう言葉がある。

 

byドストエフスキー

 

『虐待されようが、強奪されようが、忘れてしまえばどうということはない。』

by孔子

 

実に奥深い格言だが、この言葉の背景には、どういう事情があるのだろうか。なぜ、人間を極めた者たちから、こういう言葉が生まれてしまったのだろうか。

 

『どうしてこの時代 ”悪”が強いんでしょうか!!名のある剣豪たちは みんな海賊だったり賞金稼ぎだったり世界中の名刀だって ほとんどそいつらの手にあるんですよ?』

 

それは、『人間が、恒久的に未熟』だからだ。この世にはびこる無数の”可笑しさ”を、この言葉は物語っているのだ。『金』、『力』、『美』、『愛』、この世にうずまく、大きな力。人々が争ってでもそれらを欲してしまうこの世の在り方は、本当に正しいのだろうか。

 

『日本列島 いきものたちの物語』では、屋久島のサル、ヤクザルが、雌を手に入れるために、雄どうしで血まみれになるまで引っ掻きあいをするシーンが見れる。他の多くの動物も、弱肉強食の世界に生きている。だが、そうでない生き物もいる。興味深い論説を唱える細胞学者が書いた、『思考のすごい力』では、人間には必ずしも、暴力のDNAは組み込まれていないというのだ。まったく、”不確か”だ。我々は、暴力をふるうかふるわないかも、定かではない生き物なのだ。だからこそ常に、混沌としているのだ。

 

世界平和というのは、世界の秩序が、治安抜群のこの日本よりも、遥かに良くて、一切の事件が起きない状態をいうが、そういう日が来るという確率は、常にそれを創り上げる因子(生命)が誕生し続けるこの世の中では、永遠に測ることが出来ない。また、万に一つそれができたとしても、大自然の猛威にふるわれた時、人は理不尽を感じずに生きていけるだろうか。

 

我々が認知しているこの世とは、一応は人が苦しまないように法律やルールや宗教で生きる指針をまとめられているが、本当は、ただの何もない大地だ。計り知れない大きさの宇宙にある、一つの星の空間だ。我々はただ、そこに存在して、生きるために食べ、その死骸は土壌にて栄養になり、植物に循環され、植物は酸素を作り、またこの地球を守っていく。ただそれだけの、儚い運命にすぎない。

 

絶え間ない”悪”や争いは悲しい事件を生むかもしれないが、皆が刀を持ち歩き、他人の首を切り、自らの腹を切り、今から考えたら異常としか思えない戦国時代にも、その時代の”力”の在り方と、美学があった。時代、世代が変わるごとに、人間の人格や、正義の在り方は明らかに変わっていく。その延長線上に、在り方の答えは、あるのだろうか。

 

『あなたの敵を 愛しなさい』

byキリスト

 

孔子やキリストの言うように、この世から”敵”がいなくなることはないだろう。私は”それら”に屈さないことを覚悟した人間だが、もし屈してしまう人がいたとしても、それは、仕方がないことなのだ。最初から、”そういうもの”なのだから。どの時代が一番良いとか、そういう話はしない方がいい。社会現象にもなったNHKの大河ドラマ『龍馬伝』で坂本龍馬の父、直足は、病床で龍馬にこう言った。

『龍馬、この世に生まれたからには、己の命を使い切れ。』

 

我々が生きる、その時代にしかできない、自分の生き方を、命が尽き果てるまで貫く。それが儚く、”無意味”に思えるこの人生に、 “意義”を見出す、人の”意地”である。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。