動いてさえいれば生命。果たしてそうだろうか。確かに、こういう言葉がある。
byルソー
つまり、『行動』することが生きることなら、動いてさえいれば、生きていることになるのだろうか。いや、違う。ここでいう『行動すること』とは、当然『呼吸』も入っている。『呼吸』は立派な運動であり、行動だが、ルソーは、『それだけではダメだ』と言っているのだ。『呼吸』するだけではだめ。動いているだけではだめなのだ。それでは、『人生を生きている』ことにはならない。人間には、意志がある。心があり、人格があり、愛がある。それらすべての”芯”が抜かれた人間は、まるで骨抜きにされたある種の生命のように、人間味を感じない。『人生を生きる』とは、それらの”芯”によって己を突き動かし、生き貫こうとする姿勢である。人生を侮ってはならない。生命を見下してはならない。
『そんなつもりは毛頭ねぇおれはもうお前を医者だとも思ってねぇんだ!!!ここにいるゾンビ達だってそうさ!!もう死んでるのに動かされてるだけだ!!こいつらは生きてなんかいない!!!命をバカにするな!!!』
この世には、金や、”力”や、煩悩に支配され自分本位になり、人間を人間として見れない哀れな人間もいる。だがその逆で、花や木、虫や動物、はては物や会社、作品、国、そして思い出にまで、命を見出す愛に溢れた人間もいる。どちらが人として”歪曲”しているだろうか。機械のように、その回答が書いてある説明書などどこにもない。あるとしたら偏った人間が書いたバイブルぐらいのものだ。だがどうだろう。この世に無数にあるそのバイブルを読みあさっていくと、何か一つ、繋がるものを見いだせる。”歪曲”しているのはどちらかなのかということが、見えてくるのだ。
それこそが、”真理”であり、”原則”であり、”神”である。(私は無宗教者)不思議とこの世は、それらを芯にして生きている人間が、大成している。この世の不思議といえば不思議だが、納得してしまうほど突き詰められた一つのロジカルが、この世に確かに、存在するのだ。命をバカにしても生きていける現実があるし、バカにしてもしなくても結局人はみな死ぬが、私はバカにするような人間をこう考えている。彼らは、この”儚い”人生に屈し、”虚しさ”しか見いだせなかった愚か者である、と。 “尊さ”を、見いだせなかった、敗者である、と。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。