私は社員に常々言っている。社員は『吃音症』という病気であり、一緒にいると黙り込む時間が、9割以上である。それについて話すと長くなるが、簡潔に言うと、幼少の頃に兄を交通事故で亡くして以来、家族全体に『被害者意識』の負のオーラが立ち込めていて、それが本人に影響している。『自分は被害者なんだ』という意識が骨の芯にまで根付いていて、『自分は人に何かしてもらう立場なんだ』という甘えで人格のほとんどが形成されていた。その『吃音症』の症状とて、本来、そういう精神的な『甘え』からきているものにすぎないと私は確信している。それを4年前から、私が叩き直している真っ最中なのだ。
常々言っている助言の内容はこうだ。
『お前は寝坊をする。なぜ目覚まし時計を3個用意しない。3個でダメなら4個。4個でダメなら5個用意すればいいだけだ。あるいは、消化に悪い揚げ物や炭水化物をたくさん食べているのだとしたら、寝てる間の消化に時間がかかり、なかなか起きれなくなるに決まっている。夜は消化に良いものを食べれば、寝てる間にすぐに消化して、起きれる。その努力をしたのか?お前は物忘れをする。何故指示された時に、メモを取らない。しっかりとしたメモ帳を用意し、メモをとれば、物忘れをすることなど絶対にあり得ない。
また、Todoリストはどうした。Todoリストを用意すれば、Web上で共有できる。なぜ、『Todoリストを使え』という指示を、50回以上言っても、いまだに使わないのだ。それで、なぜ『忘れていました』という発言が出来るのだ?お前のお客さんに対する態度は安易すぎる。何故その声のトーンでお客さんが嫌悪感を抱かないと思っているのか。何故『自分がこの場で楽になる』ことを優先して、軽率な仕事の仕方をしようとするのか。それでもし取り返しのつかない失態をしたときに、責任をとるだけの器(弁償する金、自ら謝罪する主体性、その後の売上や、誠意)はあるのか?
お前は、”楽”をしている。自分を律せず、自分を戒めず、『前始末』をしないから、『後始末』だらけになり、結果的に自分も周りも、”楽しくない”思いをしている。お前のそういう全ての浅はかな行動の根源は、パラダイム(過去に植えついた価値観、考え方)そのものである。お前が『パラダイム転換(その考え方を戒めない)』をしない限り、お前に対する一切の報酬や見返りは薄っぺらいままだろう。お金、笑顔、称賛、信頼、知性、甲斐性、お前に入ってくるそれら一切の報酬は、皆無に等しいものだろう。だって周りがそれらを与えなくても、自分が勝手に、自分を甘やかすのだろう?そういう奴には、周囲からの一切の報酬はない。やる必要がないではないか。
だがお前の逆で、自分に一切の妥協を許さず、周囲の人に決して迷惑をかけず、一途に、自主的に、自律し、責任を持って生きている人のことは、周囲の人が黙って見ていない。(こいつは(この人は)俺が、助けてあげなきゃ(敬意を持って接しなきゃ))そう思いたくなるのは、最初から無理だと決めつけて、努力を放棄し、楽に生きる前者ではない。見てるところでも見ていないところでも自分に厳しく、安易には人に助けを求めない後者の方なのだ。』
『助けて…』
『当たり前だ!!!!!』
『いくぞ』
事情を抱えている人間が、自分だけだと思っているのであれば、あまりにも無知だ。もちろん、私にもそういう時期はあったのだ。
(自分ほど複雑な環境に生きる人間はいない)
そう思っていたのだ。だが、失明した人のことを考えよ。五体不満足の人のことを考えよ。衛生面の悪い泥水を笑顔で飲むエチオピアの子供のことを考えよ。10倍の速度で歳をとる運命に生まれた人のことを考えよ。自分よりも複雑な事情を持って生きる人間など、ごまんといる。こういう言葉がある。
『包帯を巻いてあげられないのなら、むやみに傷口に触れてはならない。』
by三浦綾子
私が”そういう”社員の『傷口』に触れているのは、『包帯を巻ける』からだ。彼の今までの人生で、それに触れた人間は私しかいない。私は自分も同じような体験をしているから、その傷口がどういうものだか、理解るのだ。だが、本当のところは、自分の悩みは自分にしかわからない。皆、心の底ではそう思っているのではないだろうか。だから皆、悩みを持っていても、人には出さない。出したら、『なぜ自分だけ甘えが許されると思っているのだ』と、言われるだけなのだ。
自分にしかわからない。そう思った時人は、腐る(自分が被害者だということを周囲に見せびらかし、関係ない人も自分の負の連鎖の道連れにする)か、あるいは、律する(周囲の人は自分の悩みを知らないし、関係ないんだから、負に巻き込まないようにしようと思う)か、どちらかの選択肢をとることになる。
どちらが最善かは言うまでもないが、人生とは常にこういった選択肢からの決断の連続であるということを自覚し、自分の人生を『主体的』に生きていくべきである。そうすれば、たとえどんなに過去に不幸を経験していたとしても、『前向きな気運』が自分の周りに渦巻きだし、その人生で、たくさんの大きな感動に出会え、人生に、悔いを残さないだろう。不幸に屈するか、屈しないか、その選択で、人生の気運は大きく変わる。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。