自分がこの人生で、何よりも大切にしたいものは何か?それが理解っている人は、どれだけいるだろうか。家族?お金?恋人?友人?自分?それは、人類が普遍的に与えられている、テーマである。
『望むものを1人で手に入れて何が楽しいの?ほんとは…!!やりたい事も欲しい物も…たくさんあるけど… …このままあいつらを捨ててあんたと一緒に行くくらいなら!!私もう!!何もいらない!!』
欲張りな私が何よりも大事にしたいものは、上に挙げた全てだ。だが、私が命を賭ける価値があると見極めるのは、誰かの命の炎が、燃え尽きるのを覚悟の上で、真剣に燃えたのを見たときだ。
家族?自分の私利私欲の為に子供を捨てたり、餓死させるような親でも、『家族』だ。だが、私はそういう親に、命を懸けない。
お金?お金があれば、白い使い道でも、黒い使い道でも、自分の好きなように、やりたいようにやれる。だが、お金の為に人を殺したり、罪のない子供をさらったり、自分の人生を殺すような真似はしない。つまり、”お金の稼ぎ方”を選んでいるようでは、お金に命を懸けているとは、言えない。
恋人?自分が愛した人なら、意固地な自分の人格をも、相手に合わせることも必要だと考えている。相手の悪い面も、弱い面も、全て男の私が受け止めるべきだ。もし恋人が人間によってひどい目に遭ったら、ひどい目に合わせたその人間を、最終的には殺すことも考えるだろう。だが、恋人をアイテムやアクセサリー、あるいは自分のエゴを満たすための要因の一つとして考え、たとえ生存本能がそうさせたとしても、辛いとき、悲しい時、その痛みを分かち合わずに、別の人生を生きながらえるような人間の為には、私は命を懸けない。
友人?基本的には、仲間思いで在りたい。だが、私が大事にしたいのは、『親友』であり、『心友』であり、『真友』。その定義が重要である。『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。』by小林多喜二敵や裏切り者を成敗して、味方を守る話なら筋が通る。だが、その逆をしたらそれは、自分さえも”裏切り者”になり、支離滅裂だ。 “話”にならない。
自分?世の中の人間は結局全員、自分本位でこの世を生きているという概念がある。白く生きようが、黒く生きようが、自分がそう生きたいからそう生きるのであれば、結局は自分の為に生きているのだ、という考えだ。だが、『自信』とは、『自分を信じる』と書く。そして、自信のない人とは、自分が嫌いな人だ。つまり、努力をし、苦労もし、人生の艱難辛苦を乗り越えてきた人は、そんな自分を振り返った時に、ご褒美をあげたくなってしまうほど、自分を好きになるし、信じることができる。
自分が嫌いな人は、それを怠った人間だ。刹那的な快楽に現実逃避をし、やるべきことを未来の自分や、子孫に先延ばしにしてしまった人間だ。そういう人が、どうして自分を信じることができるだろうか。どうして『自信』を持って、この人生を生きることができるだろうか。つまり、そういう人は自分の人生に、命を懸けない。一見すると自分を一番に考えていて、人生を大事にしているように見えるが、実際はその逆である。自暴自棄になり、諦めてしまっているからこそ、避けるのだ。乗り越えられると、信じていないから、逃げるのだ。
本当に自分の人生を大事にしている人間とは、この人生で自分の身にどんな出来事が降りかかろうとも、誰のせいにもせず、試練なら乗り越え、報酬なら奢らず、屈せず、最後まで自分らしさを失わない人間なのだ。自分が私利私欲に走ることで、自分に命を懸けた(盟友?)、あるいは命を託した(家族?)、誰かの命の炎が、消えてしまう。そういうときに命を懸けられるかどうかで、人間としての最終的な真価が問われるのだ。家族だろうが、友人だろうが、恋人だろうが、放っておいても自分のことを一番に考えるような人間には、私が命を懸ける必要もないだろう。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。