ハンコック『そなたらなど死んでも構わぬ』

男は、女の”最初の相手”になることを望み、女は、男の”最後の相手”になることを望むというが、あながちそれは、大きく間違ってはいないと思う。男の本能は自分本位だから、女が”最初の相手”じゃなければ、どこかに”中古”さを感じてしまう、愚かな一面がある。そう思ってもいいだろう、とどこかで思っているのだ、男は。男が選ぶ側なのだ、と。どこか上から人を見て、見下す一面がある。

 

それは、歴史を見ればわかることだ。少し前までは、女性は一人前として認められていなかった。仕事すら、ろくにさせてもらうことができなかったのだ。一方女は、けなげにもそういう歴史を生きてきて、植えついている。男はよく働き、よく遊び、よく動き回るから、それだけ人間関係も広がる、そう考える場合が多い。

 

それに女は、男に『甲斐性』を求めるから、その方がいいと思う者が多い。なぜなら男は狩りに出て、女、子供の食事を獲らなければならないからだ。経験が豊富の甲斐性持ちの方が、女としては幸せに直結する。年齢を重ねれば重ねるほど、男への要求は変わってくる。顔から始まった男のタイプも、やがて逞しい体格、包み込む性格、そして経済的な能力があるかどうかに変わってくるのだ。

 

だから女性は常に、変貌する生き物だ。恋愛をすれば人が変わる、結婚すれば名字が変わる、子供が出来れば脳の作りが変わる。女は常にそうやって、変貌してこの世を、生きてきたのだ。男には『剛』、女には『柔』が備わったのである。こと自分のパートナーにおいては、本心では常に探していてそれが女の幸せに直結しているから、惚れてしまったとき、『私はこの人と出会う運命だったんだ』と、胸を高鳴らせる。それまではよく遊んでいた友人とパタリと連絡を取らなくなり、好きな人のことで頭がいっぱいになる。

 

『フィメールチョイス』とは、『女性が、男性を選ぶ』という心理学用語だが、女性は、男性にアプローチを受けなければ、そもそも”選択”することはできない。アプローチを受けた男性の中から選ぶ。だから女性は、選ばれるのではなく、選んでいるのだ、という女性目線の考え方だが、これも結局、最初に男がアプローチしているところから全てが始まっているのだ。つまり、結局嬉しいのだ。女は、男にアプローチを受けることが。哀しいのか、けなげなのか、それが女の性(さが)なのかもしれない。

 

『そなたらなど死んでも構わぬ』

 

女は常に、ガールズトークや女子会などといって、いつまでも仲良く話をしているように見えるが、女の本音は、いつだって抜け駆けして恋愛や結婚をして、いち早く幸せになることなのだ。女には使命がある。子供を生み、子孫を遺すことが出来るのは、女だけだ。だから、ここ何十年程度の表層的な解釈で『抜け駆け』というよりも、もっと本質的なところまで潜れば、女は本能でわかっているのかもしれない。自分には、やるべき使命があるということを。それが女の人生で、何より重要なことだということを。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。

IQ

I drew illustration. Thank you!

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