自分の人生が、生きるか死ぬかという究極の場面で、『それをして生きながらえるくらいなら』 と、自ら選択肢を減らす覚悟を持って、この人生を生きているだろうか。 例えばソクラテスは、『無知の知(知っている様に振る舞っているけど、本当は何も知らないはずだ)』 という知性を説いて回ったことが仇になり、たったそれだけのことで恨みを買い、 裁判にかけられて死刑を求刑された。ソクラテスは『どんな刑を求めるか?』という質問に対し、こう答えた。
『どうも何も、何もしていないのだから、むしろ褒美を取らせてほしいね。』
そしてソクラテスは益々反感を買い、死刑求刑の票を多く獲得した。 だがソクラテスは断固として言った。
彼曰く、
『私が彼らに、減刑を求刑する。 今まさに『無実』な人間を裁判にかけて集団殺人をしようという『無知』な人々に対し、 『死にたくない』と懇願する。 そんなことをしたら今まで私がやってきたこと、信じてきたことが水の泡だ。 わたしは、善いことかもしれない死を、 はじめから、よくわからないのに恐れて逃げることは絶対にしない。』
そして、幼馴染のクリトンに脱獄を進められても断り、 死刑執行の日にこう言った。
『お別れのときが来た。君たちは生きながらえるため、私は死ぬために別れるのだ。 君たちと私のどちらがより幸福なのだろうか? 答えることが出来るのは神のみである。』
そしてソクラテスは毒水を飲んで、その人生に幕を閉じたのだ。 だがソクラテスの場合は、最初から最後まで『知性』を愛したから動じなかった。 ではもし『知性』とは無縁の人生、 例えば『情熱』とか、『男気』などということを信条にして生きている人は、 その死に際の究極の選択で、どう判断すればいいだろうか。 人を信じる『情熱』は間違いなく尊い。だが、 その『情熱』によって、心がかきむしられることになるのだ。
『この世にゃァ心の優しい人間達はいっぱいいるんだ!!! そんな事はわかってる!!!なのに…死んで消えゆく者達が!!! 恨みだけこの世に残すなんて滑稽だろう!!! …頭じゃあわかっていても…!!! おれあはもう心の”鬼”が邪魔をする 体が…その血を拒絶する!!! おれはもう…!!! 人間を……!!!愛せねェ……!!!』
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。